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「神曲」 24-30



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 このところ日本の霊界でも、大型の宇宙船が出来ていた。
 そこに地獄、煉獄にいたと言う方々を乗せて、大銀河を見せてやろうと 大田晴海大尉の発案で決まった。
 …

「神曲」 24-30_a0144027_174099.jpg さて苔むした石段をまた降りるのかと覚悟はしていたが、今度は大尉の後を付いて行くのだと知り、「やった」と思った。
大尉は地底で閻魔大王に、「いま地の底に何人いるか」と尋ねている。それで地の底に続く苔むした石段を降りていった。
閻魔大王との連絡が取れていたのであろうか 赤鬼青鬼が 言う事を聞いてくれる。
 大田大尉は手当たり次第、取りあえず百万人ほどの亡者共を連れだし、次の シャトルに入れた。

 …
 大田大尉の他に、あの役の小角(えんのおずぬ)殿が仙界から乗りこんでこられた。宇宙船で何をやらかすか分からないからである。こうして、大銀河の星たち、赤や黄色や薄紅色の恒星を見た。そして数知れぬ惑星の中でも、銀河の中心に住んでおられる人々の、高い意識レベルに皆はくぎ付けとなった。
 「美しい、人はここまで美しく優しくなれるものなのか」と皆が思い、感極まった。
 それから地球を何周も見て回り、我が心の物差しの 何と小さかった事かと食い入るように見つめていた。この方々が、つい先だって地獄にいた人とは誰も信じられないだろう。やはり物事は いかに教え悟らすか、これに尽きる。たった一つの小さな青い地球で、一体どれほどの罪を犯したのか、さめざめと涙がこぼれ、宇宙船のなかを きらきらと舞った。
 丁度 そのとき、
 セム中尉のいたときと同じ、宇宙母船が通りかけた。セムはマイクを握るや、事のあらましを伝えた。セムが、久しぶりに聞いた母国の言葉だった。ちょうど空船だったので、存分に使ってくれとの言葉だった。セムと同期の、顔見知りの船長だった。


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 セム、いや大田大尉は、これからが恐ろしくなるぞと言って 私くし(森田)の肝を冷やし、蝋燭一本で地下の暗闇の中に入っていった。石段が途中で途切れ、後は浮遊して暗闇の中に沈んだ。
 ここが世に言う無間地獄である。大田大尉は、くれぐれも礼を失してはいかんぞと、私に言った。大尉は、蝋燭一本をかかげ、
 「ここから救い出しに来ましたぞーっ」と言った。みんな、相当な人ばかりであった。その誤った教えとプライドによりここまで堕ちた。歴史の本や教科書に載っている人ばかりであった。大尉は礼を失せず、遊覧飛行に御搭乗願いたいと説明した。それもそこいらを周るだけでは無い、今度は銀河を含めた大宇宙をである。NGC1566銀河とか、M60星雲とか、端から端まで見に行きませんかと 丁重に言った。こうして無間地獄に堕ちた人達と、辛酸をなめ尽くした地獄の人々を、セムと同期であった船長の母船に乗せて、時間はたっぷりある。色々と見聞をしてもらった。


 そうして二年が経ち、三年が経ち、母船が着いた。みな笑顔であった。貴重な体験をさせてもらったと、比叡山の高名な彼の人は言った。みんな涼やかな澄んだ目をしていた。
 余談ではあるが、只一人、「是非も無し」と謀反の火炎の中で自刃した御仁は、高名な政治家の妻女の家に産まれを請い、許可された。いつそう思われましたかと、セムが伺うと、「いつ頃からじゃとな、そうさな。M61星雲にあるセム殿の星の、あまりにも豊かな暮らしぶりを見てからじゃろうか、余も再びこの国に一喝を加えんとな」と仰った。恐らくこの方が、日本の舵取りを任される日が来るだろう。少し怖い気もするが、器の大きさは天下一品である。各教区の司教 神父や、ラビ、御坊さん達が見学に来ていた。そして、この星の喧騒の中では決して聞こえない、神の囁きがあることを皆は知った。

 やはり 宇宙カウンセリングが必要だなあと思う。物差しがみんな小さすぎるのだ。利権を求めて大局に立てない この星の幼いところである。今は、天御中主の大神様が司る地獄は空っぽになったが、まだキリスト教系 イスラム教系 仏教系、まだまだ地獄はぱんぱんである。各教区、自前の宇宙母船を持たなくては駄目だと気付いた。

「神曲」 24-30_a0144027_1661661.jpg 人は、まだ自分自身の何たるかを悟るほどに目覚めてはいない。自分が何であるかを知り得たときこそ、計り知れない、魂の進化が始まりそうな予感がする。修学旅行や癒しの時間に、あるいは 閉じこもりがちな青年や少女たちを、銀河の中で、アンドロメダ星雲の中で、その妙なる波動を直に受けさせたい。そしてその身にシールドをかけて、宇宙服無しで泳いで、神の声を直に聞かせてあげたい。
 涙がぼろぼろ出るに違いない。そして自分が何者であるのか解るに違いない。その日は必ずやって来る。恐らくは、地上での戦火が途絶えた日 それは始まって行くと思う。その時こそ、人々の奢り高ぶりは 霧散してしまうと思う。


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 セムの所へ あの宇宙母船の同期の船長が、空船三隻を率いて戻ってきた。
 「おおっ」これは助かった「ありがたい」、その船長も暫く手伝うと言う。
 今までの経緯を話そうとセムは言った。天御中主の神様の地獄は上手く行った。本来悪を認めない教区だからであろう。問題なのはキリスト教圏とその亜流だと思う。そこの教えは悪を認め、その軍団とモーセをはじめに日々戦っている。そしてこの地球が、天界と魔界との戦いの場であると思っているらしい。
 その親玉の名前はあえて伏せるが、嘗てのイラクの王子として生まれた、堕天使である。宇宙を隈なく知っている。

「神曲」 24-30_a0144027_21514097.jpg 「これは手ごわい」
 「無理である」
 「今、無間地獄に落ちているが」 人々の悪想念を啜って生きている。

 とりあえず、地獄の表層の霊人たちを同期の船長に頼んだ。教戒師達を乗せて、当分の間、教化飛行を頼んだ。霊人たちが希望する所へ、時間はたっぷり有る。何年でも良い、何せ彼等は死んで何百年も経っているのだからと話した。
 …
 さて、この無間地獄の堕天使を、如何にしたものかと思案していると、
 天空からスポットライトが、その堕天使を包んだ。
 無間地獄は、真昼になった。
 誰も何も言えない、
 言い知れぬ波動に、感 極わまった。
 ひとしずく涙が出てきた。
 「ああ、」
 更にひとしずく涙が出てきた。
 時が止まった。
 「  」
 その光の主の目からも 涙がひとしずく金色に輝き、堕天使の額に落ちた。
 堕天使の目からも 止めどもなく涙が零れ、その頬を濡らし、光りの主を見上げていた。
 薄汚れた堕天使の側に、真新しい白衣が置かれてあった。
 天使は白衣に着替え、光の主と共に 天空に昇っていった…
 …
 一言も発せず「あれは誰だったのだろうか」 あれこそが親神様だろう。吾が子を愛でる いとおしさがあった。泣いておられた。人事ながらあの堕天使は、大天使様に成られるに違いないと思った。

 これでキリスト教圏とその亜流の大掃除が出来た。仏陀の地獄からは、低く唸る「十善戒」が聞こえてきた。曰く、不殺生、不ちゅう盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見、と読経の声が響いてきた。アラーのイスラム圏の地獄には更に驚いた。いわゆるその無間地獄の奥から、ひときは高く、コーランの力強い謡声が聞こえてくるではないか。

 おれがおれがと、肉体時代の自己保存の意識を持って、いくら経を読んでも、誰も助けに来てくれない。そこで各階の地獄の霊人を、アレン少尉とミール准尉たちが母船に乗せて、宇宙旅行をし、多くの星の生涯を学んでもらった。地球にも春が近づいて来ている。それも大きな春である。

 アレンと母船の船長が帰って来た。そして にこっと笑って、セムと握手を交わした。
 そして降りてきた霊人達は皆口々に、
 「ありがとう。こんなに素晴らしい地球だとは知らなかった」と誰もが言った。
 みんな明るい、くしゃくしゃな涙顔になって帰って来た。

 モーセは唖然としていた。
 もう何千年 悪鬼と戦って来たのだろうか。それが東方の異邦人によって、物の数分で終ってしまった。しかも、生霊のど素人(森田)と二人で恒星の大霊を呼び出し、地球から地獄を無くしてくれた。やはり大霊よりプリズムに分光された、赤外線のモーセより、紫外線の天御中主の神様の方が、正しい考えであったということが モーセにも良く分かった。本来、悪人などいないと力説する、力強い考えが主流となった。さすがは紫外線である。殺傷能力も桁外れだ。そして紫色には精神性の高さも顕している。
 モーセは御中主に兜を脱いだ。

「神曲」 24-30_a0144027_11392476.jpg 今 文明は小さな島国に集まっている。さもあらん、天御中主の神の国だ。モーセが言った。「やはり、わしは間違っていたのか」と。今のユダヤの民を見よ、元はといえば これも私の過ちから出て来てしまった。何故始めに、皆と共に平和に暮らせよと教えなかったのか。何故、皆で赦し合いなさいと教えなかったのか。銀河の星は、その銀河の中でしか生きていけないというのに… 。
 まず「神ながら」を説く国と、「汝、殺すなかれ」と誰でもが分かっている事を、あえて最初に書かざるを得なかった国との違いである。皮肉にも、その教えとは裏腹の、戦いの歴史であった。それで幾百億人が死に、地獄を賑わかしているかで顕かである。


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 「阿南中佐、あの時はえらい仙術を使こうたな」と役(えん)の行者である小角(おずぬ)殿が言った。
 「いやいや、あっはっは、」と笑って、
 「実はあれは、我が妻子と、四郎どんの首塚の真上に落とされるのんが、癇にさわってな」と阿南が言った。あの時というのは、大田大尉を使って長崎の原爆を阻止した事である。この阿南中佐といわれるのはどうやら仙界の人のようである。目の前の千女の舞いを見ておられる。ここは、大国主命(おおくにぬしのみこと)の懐にい抱かれた、仙界である。

 阿南中佐は、大田大尉がことごとく地獄を空っぽにした話を聞き、いたく感動し、ガダルカナル島のことを、「少し詫びんばな」と思った。阿南は、この仙界の聳え立つ山々の中ほどの石窟に 庵を立てて住まいしていた。薄紫色の雲を自在に操り、いま雲上から千女の舞いを観ていたところだ。千女たちは羽衣をなびかせ、中空で優雅に技を興じ合っている。今この地球では、こんな朗らかな仙界は 他には無いであろう。

「神曲」 24-30_a0144027_155568.jpg ここで暫く瞑想に入るべく、役の小角様とも別れ、阿南中佐は薄紫色の雲に乗り、自宅の石窟に帰って行かれた。遥か下は千尋の谷であり、霞がかかり里の光が微かに透けて見える、まさに絶景かなと言わしめる 景勝の地の庵である。
 阿南の霊は、セシルの四分の一の霊体となって地上に降りたが、今はセシルの中に戻って一体となっていた。セシルは、瞑想に入る前に、走馬灯のように浮かぶ自身の前世を見ていた。やはり元からの地球人では無かったし、セムちゃんの星でも無かった。

 その星の恒星は老いていた。幾つもの文明を育て上げ その恒星自体も更に進化するべき時がきていた。ガスが噴出し、白色わい星に成りかけていた。その最後の文明期にセシルは生き、やはり大声で、「船が出るぞー」と叫び、最後の人となり、自艦で星を離れた。


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 宇宙には人が住める所がまだまだ一杯在るのに、あろうことか、この御方も地球を選んだ。そして宇宙船で日本の仙界に留まった。セシルはまだ地球のことをよく知らないので、自由に地上を浮遊し、誰か困った人がいれば、助けてあげることが許されていた。セシルは、前にいた星でも仙界というところにいて、修験道を極めた達人でもあった。それで中でも一際美しい、日本の仙界を選んだのである。
 …
 上空で一ノ谷の合戦を観ていた。源平の戦いである。激戦は熾烈を極めた。「しまったっ」と思った。敦盛のか細き首が取られた時である。僅かな遅れであった。
 「助けられたかも知れん」
 「酷い、まだ子供ではないか、」義経の方ばかりに気を取られていたので、浜辺の熊谷直実まで目が行き届かなかった。
 「源平が入り乱れ、互いに名乗りをあげ、おめき叫ぶ声は山に響き、馬の馳せちがう音は雷(いかづち)のようだ。両軍の放つ矢は雨が降るようだった… 」と平家物語では記されている。

「神曲」 24-30_a0144027_16521394.jpg 西海では、那須の与一が、海上の日の丸の扇をめがけて弓矢を射かけた。セシルは「ああ、これは外れるな」と思って、それを修正して的に射止めさせた。本人は何も知らず、得意満面であった。



 …
 セシルは、ここの連中は よくもまあ野蛮に、生きた首をはねるものだと呆れた。
 「訳も知らず、命の尊厳も知らずして… 」
 もうこんな連中の守護は御免蒙りたいと、反転して暫らく行くと、須磨浦の一隅に流れ矢に刺さった女の子が目に止まった。出血多量で朦朧としている。早速矢を抜き血止めをしたが、意識が戻らぬ。そこでセシルは人の形となり、傷口を塞ぎ、
 「ああ、あのくそがき、あの義経のたわけが」
 と思いながら、セシルは仙術を使い意識を取り戻させて、親御のことを聞いたが 親はいないと言う、戦で死んでしまったと言う。身寄りはいないかと尋ねても、
 「身寄りとはなんじゃ、誰も知らんぞ」と気丈にも言う、
 無理もない、まだ四、五才の子供である。私は後ろを向き仙術でおにぎりを出し、その子に与えた。行く当ても無く物ごいをして、ここまで歩いて来たのだろうか。

 京に家を建て、
 さてこの子には何を教えて良いものか、思案にくれた。
 とりあえず名を橘姫とし、光仁天皇を祖に持つ、いかにもそれらしい煤けた家系図を創った。セシルは、高い文明の星から来ている。この国の言葉も知っている、おおよそ宇宙船の中で学び、この地でも学んだ。名も知れぬこの子のために、仙界の千女を呼び寄せ、千女ともども この子のためにありったけの事を教えた。
 「人とは何か、その在るべき姿とは一体何であるのか」と教えた。
 賢い子であった。仙界の千女は、薙刀と小太刀も教えた。そして人の生き死に、その生まれ変わり、永劫不変に人類を包み込む、遥か彼方で流される清らかな一筋の涙の意味、「人を助け続けよという、強い意思」 それが分かる子に成長した。セシル自身、その子から多くを学んだ。千女もまた、セシルから多くを学んだ。

 橘姫は頭角を顕し、養護院を作り子供等に読み書きを教え、病人の手当てをした。京の公家の子弟も通った。九条家の息子が一目惚れをして、是非嫁に貰いたいと親子共々訪ねてきた。仙術で作ったでたらめな家系図が功を奏し、そうして高貴な公家と夫婦になった。千女はもといた所に帰り、セシルは天空を飛んだ。


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 文久三年(西暦1863年)、桂木新之助は、長州藩士きっての一刀流、剣の達人だった。その新之助は決して薩摩藩士とは立ち会わない。命を捨てて渾身の力で打ち込んでくる示現流には、一目も二目も置いていた。新影流など、示現流には到底足元にも及ばないと思っていた。
 その新之助を、三人の新撰組の隊士が取り囲んだ。「ちっ、」無頼の輩がと、下駄を隊士の顔面に跳ね飛ばし、刀のみねで胴を払った。その時その隊士の小手にも当たり骨が砕け、二人目の隊士には、上段から頭蓋が割れよとばかり 面をのめり喰らわし、取って交わして、三人目の胴を切っ先で払い上げた。
 その隊士の腰帯びは切れて胸腹を晒した。まるで舞いを見るかのような華麗な、一連の太刀筋であった。「これは敵わぬ、」と三人は遁走した。それを見た新之助は、下駄を拾い目的の吉田家を目指して歩を進めた。だが三人の新撰組の隊士は物陰から行方を追っていた。この新之助の温情があだと成り、この後の悲劇の幕が開いた。

 セシルは、セムのように、よく地上を滑空するようになった。誰か助けを呼んでいる気がして、仕方が無いのである。お、居たいた、敦盛こと甚兵衛が長州の侍となって、何か密議をしている。居並ぶ者達は長州の侍と その脱藩者である。およそ十五人、吉田屋の二階の奥座敷にいる。
 「新撰組が出来たらしい」
 「あちこちから 食詰め浪人が集まってくるぞ」
 新撰組を早期に全滅させる、好い策はないかと練っていた。甚兵衛は、今は長州藩士、桂木新之助と名乗っていた。セシルは、この者達を陰で守護することにした。「ほら来た、」新撰組が御宿改めと称して乗込んできた。幾人かが切り合いをしている間に多くは二階の縁側から逃げた。「くそっ、早めに潰しておかなければ、新撰組は確実に増える」と新之助は思い廻らし、見方が逃げ果せるまで剣客ぶりを発揮し、「ここは俺に任せろ、竜馬、構わず縁側から逃げろ、時は俺がつくる」と踏みとどまり、一人で新撰組と対峙し、自らの役を閉じた。セシルは、又あ奴か、自分が付いていながら二度までも、「許せよ」とセシルは呟いた。それにしても人を助けんがために、踏みとどまり切られたのである。

「神曲」 24-30_a0144027_1155584.jpg 文久三年三月、この年で新撰組は 芹沢鴨を筆頭に二十六名であった。仕掛けは早いほうが良い、この時、長州藩は少し人里から離れた所に、宿を買い取っていた。土間の上がりくちの下には油をしき、火薬の粉の上に蝋燭を燃やし、燃えやすい焚き付けの柴で隠した。そして二階の縁側の障子窓を塞ぎ 出入り口は玄関だけにして、表から閂(かんぬき)を架けられるようにした。更に火の勢いが激しさを増すように、天井の一部に穴を開け、土間の上がり口には、四、五拾人のわらじ、履物を無造作に置き、新撰組に、噂を流した。
 そうして、その噂につられ、「御宿改めである」と言って、案の定乗込んできた。
 敵は四、五拾人と聞いていたので、新撰組は全員でやって来た。瓦の上からいかにも二階にいるように、「新撰組が来たぞーっ」と叫び、いろりの灰で煙幕を張った。宿の亭主に扮した侍が土間の下の焚き付けの柴で、蝋燭を倒し、火薬と油に火をつけ、玄関に閂を差した。二番手の警護の者は弓で射て、「この愚か者めが、まだ解らんのか」と言い、ばっさりと切り下ろし、新之助の仇を討った。これで新撰組は一夜にして滅んだ。


「神曲」 24-30_a0144027_0241764.jpg セシルは仙界の吾が庵に、敦盛こと桂木新之助を招き、歓待した。敦盛の庵と、ちょうど反対側にあたる。仙界は始めてであった。急峻な山肌に、見事な松が映えている。役の小角殿も訪ねて来られた。ひょうたん入りの酒を持って二人に振る舞われた。
 「セシル殿の星も、もうそろそろだろうなあ」と言われた。星の大爆発である。一度は見ておきたい気はするが、ちと恐ろしくもある。「セム殿の星は、大陸が出てきたそうじゃな」と聞かれ、それであのカンミちゃんのことを思い出した。そうしてセムこと新之助は、そのカンミちゃんの絵を書いて、役の小角(えんのおずぬ)殿に見せたら、「おお、おお、案ずるな この子は無事じゃ」と言われた。
 役の小角殿は、お二人に今度の戦は大変な戦いに成るぞ、と言われ、今のうちに飲めるだけ飲んどかれよと仰り、帰って行かれた。

 第二次上海事変が勃発し、関東軍が、中国の上海まで攻込んで行ってしまった。どの国でも、戦いは人を狂わせる。強いと思っている国ほど驕り昂ぶり、度を越して引くに引けなくなくなって行く。そして 今また、風雲急な時代に突入して行きそうな雲行きである。


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 「俺は何のために生きているんだろう」とセムは言った。愛しい人には去られ何時もいつも切られて死んで行く。それで少しは成長したのだろうか、セシル殿に愚痴をこぼした。憂鬱になって愚痴をこぼした。本当に、切られてばかりいる。セシルは聞き役に徹した。「どだい、この物語を書いている奴、ありゃあ何者なんだ」 こんなブログ本を読む奴がいるのか。
 そう、そうです、分っています。人と余り接してこなかったせいか語彙も少なく、私も愚痴をこぼしたくなります。

「神曲」 24-30_a0144027_18471677.jpg

 …
 だが、わが友、読者よ、君なくば、我はそも何ぞ、
 感ずるところはみな独りごとに終り、わが喜びのことばも分らない。
 人間は気高くあれ、どのような状況であれ、情けぶがく優しくあれ、
 そのことだけが、私らの知っている一切のものと、人間を区別する。
 我らが知らずして、だだほのかに感ずる、より高きものに幸あれ、
 人間は、そのより高きものに似よ、
 永劫不変の、大法則に従い、
 私らはみな、私らの生存の、環を全うしなければならぬ。
 気高い人間よ、まず情け深く優しくあれ、
 うまずたゆまず、益あるもの、正しきものをつくれ。
 そして かの、ほのかに感ぜられる、より高きものの雛型ともなれ。
 …
 (ゲーテ詩集より)


 セムもセシルも、だしに使って申し訳ない。天御中主(あめのみなかぬし)の神様にもご迷惑をかけたし、大国主(おおくにのぬし)の神様にも、そして世界中の神様にも ご迷惑をかけた。神を決して擬人化してはならない、恐み かしこみ、戴くものである。だが私は その禁を冒してしまった。この宇宙の全体像を画くためにも、是非御登場してもらった。勝手に使わして頂き、大変華やぎ、筆圧に力が入り、光が出た。人の生甲斐とは、何であろう。星の生甲斐とは、何であろう。また、銀河の生甲斐とは、何であろうか。
 「嗚呼!」 喜びごととは何であろうか。再び 天罰が下る前に、それを知るために、いま少し辛抱してみようか。おお、見よ、我が天罰は… もう 終にそこまで来ている。




「神曲」 24-30_a0144027_13505836.jpg







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by hirosi754 | 2010-06-02 16:38 | 小説