「森田源左衛門助六」

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 「森田殿ー」
 「森田源左衛門助六殿ー」
 「森田源左衛門殿ー」と、長屋の外で名を呼んでいる。聞き覚えのある声だ。「戸は開いておるぞ。中へ入られよ」と言うと、「では御免」と引き戸を開け、中野進左衛門と小栗藤堂が、それぞれ手に酒樽と酒のつまみを持って入いってきた。
 「おお、中野殿に小栗殿、むさい処ではあるが、ささ上にあがられよ」と助六は言った。ともに山田道場の仲間である。
 「まずは目出度い」と小栗藤堂が言い、二人は酒樽を畳の上に置いた。

a0144027_1142865.jpg 「これは有難い」と助六は木製のお椀を三つ取り出し、三人で車座にあぐらをかき、お椀に酒を注いだ。
 「では、森田源左衛門助六殿の免許皆伝を祝うて」と進左衛門が言い、「おう」と三人は盃を上げた。


 「しかしその若さで、よくぞや山田光徳(一風斎)殿よりの免許皆伝を授かれるとはな、恐れ入った」「直心影流の極意とは何ぞや」と藤堂が聞いた。
 「まあ一言でいえばじゃの、時を超えて 神羅万象を飲み込まんとする合気じゃろうか」
 「んーん、良くは分からぬが、一つ巻物を見せてはくれまいか」と進左衛門が言った。
 「これじゃ」と、森田源左衛門助六は巻物を開いて見せた。
 「おお、これが直心影流の皆伝書か」と二人は、干物を食いながら しげしげと見入った。
 と、その時である。

 「森田の旦那ー」
 「源左衛門の旦那ー」と声をかけ、
 戸を開け息せき切って、長屋の大工、甚五郎とお梅婆さんが飛び込んできた。
 「どうした」
 「じょ、上意打ちじゃ」
 「どこで」
 「そこ、長屋の入り口」と甚五郎は指さした。
 お梅婆さんは「十四、五人に囲まれておって、あれじゃあ返り討ちじゃあ」と言った。
 森田源左衛門助六は大刀を握るや、はだしのまま駆け出して行った。

 「あいやあ待たれい」と切り合いの中に割って入り、「拙者は長兵衛長屋の助六と申す者でござる、仔細を伺いたい」と言ったが、「問答無用」と相手側の旗本が切り込んできた。助六は咄嗟に体をかわし、一刀のもとに切り伏せた。
 戦いのさ中、「我は備中の守、これは堀田正俊様よりの上意書でござる」と手練れの侍は封書を見せて言った。「相分かった、森田源左衛門助六、御助勢仕る」と言い、お主の名はと聞いた。剣客は「向坂伊右衛門でござる」と答えた。
 中野進左衛門と小栗藤堂、それに大工の甚五郎とお梅婆さんが見守る中、伊右衛門と助六が相手方の旗本を「応じ技」にてバッタバッタと切り殺して、上意打ちは終わった。

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 向坂伊右衛門は、懐紙に何事かを書き、「相手は旗本なれば、身の処し方は心得ておる。捕り方が来るのでこの場から去られよ、」と助六に言った。上意書と懐紙にしたためた覚書を眼前に置き、脇差で腹を十文字に掻き「裏ちりつ表を散りつ紅葉かな」との辞世の句を残し、刃先が肝の臓まで達したのか大量の血を流しうつ伏せになり、果てた。「裏ちりつ表を散りつ紅葉かな…」森田源左衛門助六は、上には上があるものだと感じいった。

 その夜、みなが帰った後、助六は大小を腰に差し、正座をして印を組み瞑想に入った。「おん さんまや さとばん」と三度真言を唱えた。これから直心影流の奥義、一風斎口伝の身渡りの術をするのである。
 丹田に気を移し瞑目するや、眼前に光の輪が出来た。そこに今でいう時計のようなものが現れ、コチコチコチコチと時を刻み、短針と長針と秒針とが合わさったと思われよ。その刹那、森田源左衛門助六は長屋から姿を消した。
 助六の生身は一旦は海に沈み、やがて浮上し雑音と共に雷(いかずち)に打たれ、未来へと思う気持ちと共に気を失った。
  …

a0144027_16223442.jpg まゆゆが「あ、父ちゃん車を停めて お侍さんが倒れている!」と叫んだ。そこで高須一郎が車をバックさせ、歩道に倒れている侍の横に停車した。
 高須とまゆゆが車から降りると、
 「もしもし」
 「もしもーし」と声をかけた。
 まゆゆが刀の柄を握り、少しばかり鞘から抜いた。
 「うわあ、真剣だ」とまゆゆが驚き鞘に納めた。
 そのとき助六は目を覚ました。

 「ここはどこじゃ」
 「横須賀ですけど」と高須一郎が言った。「そうか横須賀村か」
 「いえ、村ではありません。昔 江戸の時代にはそう呼ばれていましたが…」
 「ほう、お主たちは 見れば南蛮渡来の装束をしておるが、今はいつの世であるのか」
 「平成✕✕年、西暦20✕✕年です」
 「西暦とは」
 「あ、そうでした。西暦は西洋の暦でした。我が国の正式な暦では、今年は皇紀26✕✕年となります」「何と皇紀26✕✕年とな。我は貞享二年(西暦1685年)より参った。名は森田源左衛門助六と申す。決して怪しいものではござらぬ」
 「そうでしたか…時を超えて来られましたか… 私は高須一郎と言い、この子はまゆゆと言う中学三年生です。もう夜もふけて参りましたが、宜しかったら我が家に一晩泊まっていかれませんか」と、高須は恐れもなく聞くと、「左様か、それはかたじけない」と、助六は後部座席に座った。そして助六が乗った車は、高須が住むマンションに到着した。

 さっそくエレベータで7階まで上り、高須一家の部屋に案内された。高須の妻、聡子が夕食を馳走してくれた。助六は食べ終わるや、
a0144027_11575397.jpg 「おお、これは変わった木刀だな」と、助六は軽々と面打ちの素振りを始めた。「それはバット… 」と高須が言おうとしたが、バットの先がつゆともぶれない。
 高須は驚いた。
 バットの重みを微塵にも感じさせない。
 そこで高須一郎は助六に野球のビデオを見せた。「ほう、この木刀に球を当てるのじゃな、他愛もないことじゃ」と助六は言ってのけた。

 翌朝、高須は横須賀にあるベイスターズのファームに助六を案内した。高須一郎はファームの打撃コーチであった。さっそく高須は、助六をバッティングマシンが置かれてある屋内に案内した。高須は助六が右利きか左利きかと問うたが、
 「どちらでも構わん」と助六が言った。
 高須は、バッティングポーズして見せ、あの機械から高速の球が飛んできてと、マシンを指さして、その木刀、いやバットで打ちかえすのだと教えた。
 「相分かった」と助六が言い、右バッターボックスに立ち構えた。
 最初の一球が来た。
 カキーンという音とともに弾丸ライナーが天井近くのネットを揺るがした。
 つづく二球目、三球目も、
 そして百球目もホームラン性の弾丸ライナーを飛ばした。
 今度は左バッターボックスに構えたが、同じく金属製の音を立ててライナーを飛ばした。
 いつしかバッターボックスのゲージ周りには、二軍の選手たちが集まっていた。その中には二宮至ファーム監督もいた。
 森田源左衛門助六は興に乗って来たのか、160キロもあろうかというボールめがけて、鞘に納めていた小柄を投げた。コロコロコロコロと転がるボールの芯には、小柄が突き刺さっていた。

 これには二宮至二軍監督も驚いた。もっと驚いたのはTVK、テレビ神奈川のクルーたちであった。ちょうどファームの取材をしに来た時であった。その後これが全国ネットに共有され、全国津々浦々までに放映されたのである。

 二宮至監督は、グラウンドに出て実戦形式の打撃を助六にさせた。先ずは二軍降格となった林昌範投手が投げた。球が大きくそれた。それに食らい付いて助六は右翼スタンドにファールを打った。すかさず高須コーチは助六に歩み寄り、ストライクゾーンを教え、「ボールには手を出さないように」と言った。
 「なるほど、されば簡単じゃ」と助六は言った。
 次の球はストライクから落ちるツーシームだった。助六は難なく場外に飛ばした。 その映像はTVKのカメラに撮られていた。髷(まげ)を結い袴を穿き、二本差しで、たすき掛けの姿は、お茶の間に流れた。「んーん」と二宮至監督は唸った。

 至は助六に、今度はピッチャーをやらせてみようと思った。投手コーチはグローブとボールを持たせ、プレートに足をつけ、捕手のグローブめがけて投げるのだと教えた。
 「相分かった」と助六は言った。
 まずは捕手を立たせて何球か投げさせた。助六は難なくグローブに納め、キャッチボールは終わった。
 バッターボックスに二軍の選手が立った。捕手がアウトローに構えた。そこへ149キロのストレートが捕手のミットに吸い込まれていった。つづく二球目は内角低めのストライクゾーンに投げた。捕手のミットは微動だにせずに受けた。三球目はど真ん中に159キロの直球を投げた。打者は空振り三振をした。


a0144027_8301926.jpg この日の映像は「貞享二年からきた侍」として全国に報道された。それから残留許可と市民権を与えるようにと、全国各地から、横須賀市役所に嘆願書と電話がひっきりなしにかかってくるようになった。
 テレビ局各社からの出演依頼も殺到した。「どのような幼年時代を過ごされましたか」との質問に、「物心ついたころには朝三千回、夕に八千回の立木打ちをしておった。これは示現流でのう、長じて直心影流を習得し、今にいたっておる」
 「江戸の治安についてはどうでしたか」との問いに、
 「お主らが思っておるより当時の江戸は暮らしやすく、罪を犯すものは五年に一度ぐらいであろうか、お江戸八百八町を五人の与力で治めておった。これは仁をなし義に生きることを重んじる、この国の人々の間に、大和の心があったからなのだと思う」
 「そうでしたか、ありがとうございました」と、リポーターが礼を言った。それから助六のファームでの一部始終の映像が流された。

 二宮二軍監督とラミレス一軍監督は、助六を呼び、「もしも残留許可が下りたなら、是非ベイスターズの一員になってはもらえないか」と聞いた。「承知」と助六の内諾を得た。
 国会では、菅官房長官も特別残留資格の許可が妥当だと言い、法務省も特別に残留資格の許可を認めた。横須賀市役所は戸籍を作った。戸籍の生年月日には寛文六年五月三日と書かれてあったが、住民登録書には本人の申告どおり三十四歳との但し書きがなされてあった。

 高須一郎バッティングコーチと助六は、高須のマンションに帰って来た。聡子は嬉しそうにハサミを持って待っていた。助六の髷を切るのである。調髪を終えると聡子は衣類一式を助六に着替えさせた。まゆゆは、野球のルールをノートに書いて教えてくれ、小学校六年生の教科書を助六に渡した。
 明日からは、ぶっつけ本番での一軍デビューである。

 次の日、横浜球場で記者会見が行われた。
 背番号42、MORITA と書かれたユニホーム姿で助六が現れた。「How is it, good.」とラミレス監督がにんまりと笑って、報道陣に紹介した。見ればかなりの男前である。
 報道記者が「何か一言」と助六に言った。
 助六は「手前には、はなはだ迷惑な仕儀と相なったが、然れども、ここは一番、直心影流の真骨頂をお見せ仕る」と言った。

 横浜DeNAベイスターズは、21年目にして30勝一番乗りを決めたが、セ、パ 交流戦で苦杯をなめ、読売ジャイアンツに首位の座を奪われた。
 ここからのベイスターズは、前代未聞の快進撃を始めるのである。

 この日、ジャイアンツ戦に先発した山口は、毎回ランナーを背負い、制球が定まらない。そして2アウト1、3塁となったとき、4番、坂本勇人にホームランを許し3点を失った。その裏、石川、梶谷、ロペスの三連打が続き、森田源左衛門助六が初打席に立った。場外スタンドからは、ワーグナーの歌劇「ワルキューレの騎行」の曲が流れ、「森田ー、森田ー」の声援が沸き起こった。初球、杉内俊哉のカットボールを、カキーンという乾いた音を残し、打球は軽々とベイスターズ応援団の頭上を飛び、場外へと消えて行った。

a0144027_1425020.jpg 試合後、助六は「直心影流の極意を伝授する故、教わりたいものはロッカー室に集まるように」と言った。キャップテン筒香嘉智選手はじめ全員が集まった。
 「では伝授する」と助六は言った。
 皆の眼が輝いた。

 「まず丹田に気を治め、邪気を払うべし。欲を捨て無になられよ。さすれば好機は欲するところに自ずと訪れよう」と言ったが、
 「しかし、そこまでの境地に到達するには、かなりの年月がかかるによって、簡単な術を伝授する」
 「まず大きく息を吸って、」
 「おん さんまや さとばん」と言い、「これを三度繰り返すが好かろう」
 「では御一同、真言を唱えて下され」
 一同は、
 「おん さんまや さとばん」と三度真言を唱えた。
 「そうでござる」
 「打者は打席に立ったときに、投手はプレートに足を置いたときに、これを唱えなされ」と、助六は真言を伝授した。

 その日からベイスターズは勝ち続けた。
 投手は「おん さんまや さとばん」と言い、球を投げると余分な肩の力が抜け、捕手のミットが構えるところに吸い込まれていった。打者も「おん さんまや さとばん」と唱えると、ストライクゾーンの真ん中に球が吸い寄せられてきた。
 三割打者は少なく、みな五割打者、六割打者であった。助六は何と九割打者であった。
 奇跡が起こっ…

 「カット!」
 「はい、カット、カット」「撮り直し」と映画監督が言った。
 「誰だ、こんな脚本を書いたのは」と怒鳴った。
 「みな五割打者、六割打者であった。だと、」「そんな馬鹿な話があるか」とご立腹であった。
 「撮り直し」と監督が言った。

 「それでは本番行きまーす」
 「用意、スタート!」

 投手は「おん さんまや さとばん」と、三度深呼吸をして言い、球を投げると、捕手のミットが構えるところに吸い込まれていった。打者も「おん さんまや さとばん」とみたび唱えると、ストライクゾーンの真ん中に球が吸い寄せられてきた。多くの打者は三割、四割バッターとなり、投手陣の防御力は1点台に収まった。
  …

 それから早三か月余が過ぎた。
 助六は瞑想するや、元の時代に帰る時期が近づいていることを悟った。それを球団社長とラミレス一軍監督に告げた。「案ずることはない、拙者がおらなくとも、✕✕年ぶりの日本一は決まっておる」と言った。
 ラミレス監督は「せめてもう一試合、明日のクライマックスシリーズの第一戦に出てはもらえないだろうか」とお願いをした。助六は「相分かった」と応じた。
 このニュースは「ベイスターズの侍、いにしえの江戸に帰る」と全国に広がった。

a0144027_9225884.jpg 次の日、横浜球場は立錐の余地もないほどの観衆で埋め尽くされた。
初回、無事に読売を零封した横浜は、一番桑原、二番梶谷、三番ロペスを塁に出した。つづく四番筒香に押し出しの四球を与え、なおも続く満塁に登場したのは、森田源左衛門助六であった。球場にかけつけたファンは総立ちとなり、ワルキューレの騎行のテーマソングと共に、森田コールが球場に鳴り響いた。

 初球、ど真ん中に来た球を、助六は思いっ切りバットを振りぬきボールを芯で叩いた。打球はベイスターズファンの頭上を軽々と越え、場外へと消えて行った。
 三塁ベースを踏むと、助六は観衆に深々と頭を下げてお辞儀をした。それから花束を受け取ると、チームメイトからもみくちゃにされ、水の洗礼を受けた。
 ダッグアウトに入りラミレス監督に一言二言お礼を言うと、ロッカー室で私服に着替え、ひとり球場を後にした。

 助六は自室に戻ると着物に着替え、袴をはいた。球団からの報酬である金貨と、まゆゆから貰った教科書を懐にしまい、大小の刀を腰に差し正座をした。
 そして大日如来の印を組み、「おん あぼぎゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」と七遍唱えた。すると直心影流、秘伝の身渡りの術により、助六の姿は部屋から消えた。

 助六は長兵衛長屋で目を覚ました。そこへ中野進左衛門と小栗藤堂が訪ねて来た。
 「いやあ、昨日(きのう)のお主の応じ技、見事であった」
 「今何と」
 「昨日の立ち回り、上意打ちでござる」
 「昨日の」
 助六は懐に入れた、まゆゆの教科書を着物の上から確かめ、「昨日か」と言った。
 「そうだ、他に何がある」と小栗藤堂が問うた。
 「厄払いだ」中野進左衛門が 昨日の残り酒を飲もうではないかと言い、風呂敷に包んできた酒のつまみの重箱を開けた。そして三人は残り酒、二樽を飲み干して酔いつぶれた。
  …


a0144027_17302938.jpg それから半月ほどしたときであろうか、
 「森田さま」
 「森田源左衛門さま」とおなごの声がした。はて、誰かなと思い、助六は戸を開けた。
 そこには美しいおなごが立っていた。

 「わたくしは幸(こう)というものでござります。あなた様にお会いするために参りました」
 「はて、なに用でござるのかな、ささ、むさい処ではあるが、ひとまずは奥へお上がりくだされ」と助六が言うと、おなごは草鞋(わらじ)を解き、畳の上で正座をし、両手をついて「わたくしをお嫁にもらって下さい」と言った。
 「はあ」
  …

 「わたくしは向坂伊右衛門の妹でござります」と言って、懐より封書を取り出して助六に渡した。助六は封書を開けると、血痕が付いた懐紙が出て来た。それは伊右衛門が割腹する直前に書かれた遺書であった。

 「お幸へ、伊右衛門」
 「我は、今わの際に真の友を得た。妹お幸よ、兄妹二人で育った兄者からの願いだ。一身を賭して我が身を助けてくれた、谷中 長兵衛長屋に住まいする、森田源左衛門助六殿に嫁がれよ」と書かれてあった。

 お幸は「もはや藩邸から出てまいりました。お嫁にしてはもらえぬとあれば、この場を借りて自害いたします」と、懐剣を抜き首筋を切ろうとした。
 「あ、待て待て、待て、待たれよ」と、助六は懐剣を握ったおなごの手を抑えた。
 「ふうっ」
 やれやれ
 兄妹二人 そろいも揃って、
 「何てこった」
  …

 それから なん時かが経った。「お幸どのといわれたな」
 ふむ… んー…

 「ではこの書物を読破し、諳(そら)んじてみなされ」と、まゆゆから貰った小学六年生の国語、社会、理科などの教科書と、副読本である教育勅語を見せた。

 「では旦那さま、幸を ここにおいて下さりますか」
 「今宵より、わたくしが あなた様のお世話をさせていただきます」とお幸は両手をついて頭を下げた。
 「幸は旦那さまの色に染まりとうござります」

 は…?
 今何と、
 「今何と言われた」
 うーん…
 それから またなん時かが経った。

 んーん…されどじゃなあ「ここの長屋で死なれても、わしも困るのでのう」と、血潮が飛び散った懐紙を封書に畳み、お幸に渡した。そして長屋の長兵衛のところに行き、布団一式を運んだ。
 長兵衛は「おや助六の旦那、お嫁さんを貰いなすったか」と聞いてきた。
 助六は「嫁ではない!」と言ったが、お幸は「嫁です」と応えた。
  …

 助六は金貨を両替商に持ち込み、「これは南蛮渡来の純金でござる」と言い、すったもんだの末、六十両の小判と交換した。そして古びた道場を見つけ買い取った。
 さっそく中野進左衛門と小栗藤堂を師範代とし、「直心影流、森田道場」との立て看板を掛けた。


a0144027_2245405.png お幸は教科書を読破していた。
 「旦那さま、この指南書には 未だ到来せぬ世の中のことが書かれてありますが、これは一体どういうことなのでしょう」
 「私が行ってきた三百数十年もの後の世でな、十二、三歳の子らが読む書物なのじゃ、さればじゃな、道場に寺子屋も合わせて作りたいのだが、どうだろう。商人の子でも百姓の子でも侍の子でも、分け隔てなく教える自信はあるか」と助六はお幸に尋ねた。
 「はい、ござります」

 「旦那様は、まだ来ぬ世に行かれたのですか」
 「そうじゃ、直心影流の秘技、身渡りの術で参ったのじゃが、美しい国であった。ここは日の本のため、将来の日本のために、ひとつ骨を折ってはくれぬか」
 「分かりました。まるで夢のようなお国ですこと、幸は嬉しゅうござります。幸は旦那様のお手伝いをさせてもらいます」とお幸が言った。「未来のことは教えてはならぬぞ、意味はわかるな」と助六は問い、「はい」とお幸が答えた。


 それからひと月、剣術道場よりも、お幸の寺子屋の方が繁盛していた。お幸はまず、読み書きそろばんの前に、まゆゆから授かった副読本である 教育勅語から教え始めた。子供らは一斉に復唱した。

 父母ニ孝ニ(親に孝養を尽くしましょう)兄弟ニ友ニ(兄弟・姉妹は仲良くしましょう)夫婦相和シ(夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
 朋友相信シ(友だちはお互いに信じ合いましょう)恭儉己レヲ持シ(自分の言動を慎みましょう)博愛衆ニ及ホシ(広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
 學ヲ修メ業ヲ習ヒ(勉学に励み職業を身につけましょう)以テ智能ヲ啓發シ(知識を養い才能を伸ばしましょう)德器ヲ成就シ(人格の向上に努めましょう)
 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ(広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)

 幼い子らの瞳は輝いていた。
 この年、貞享三年(西暦1686年)に、森田源左衛門助六は、お幸との祝言を挙げた。

 「完」



 「カット!」「はい、お疲れー、ご苦労さん」と監督が言った。
 「今回の撮影の出来は」と著名な監督に記者が聞いた。「それがだなあ、さっぱり分からんのだ」
 さあみんな、これから 打ち上げパーティだぞ、と監督が言った。


 「了」



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by hirosi754 | 2015-06-04 21:12 | 小説 | Comments(0)