「昭生と朱美」
「神曲」エピソード1 「二人の酔っぱらい」エピソード1 「洞窟での出来事」野良猫との再会 「覚永和尚」 「みどりと信夫の大当たり」 「仙人候補生」と姉弟 「神曲 第一部」1-56 「神曲 第二部」57-78 「亜衣姫と羅夢王」1-7
「えっ」
「そんな」
「 」
「どうなってるんだ」
もう一度 普段使っていないA銀行の口座残高を見た。
「あらー」
桁が10桁になっている。
その先に2がついていた。
「20億」
「嘘だー、夢だ」
振込み名義人は「ヤマサキ ヒサトシ」となっている。
「そんな奴は知らん」
「何かの間違いだ」
昭生(あきお)はパソコンを閉じた。
それから眠れぬ長い夜を過ごした。
「そうだ」
「酒でも飲むか」と焼酎を飲んだ。だが一向に酔えない。
次の日、昭生は恐るおそる またパソコンを開いた。
「消えているか、消えていないか」
「消えとらん」
A銀行には20億円の預金があった。
その日、昭生は職安には行かず、昼間から開いている美沙というスナックで酒を飲んだ。《あの20億円はどうしたらいいんだろう》と考えていた。
「昭生ちゃん、なに考えてるの」とスナックのママが聞いた。
「えっ、うん 仕事のこと」と答えた。
「嘘ばっかり、女の子のことでしょう」と美沙が言った。
「女はおらん」
「一人も」
「うん」
「じゃあ、今度女の子を紹介してあげようか」
「いいよ」
「ほんとに、後悔するわよ」
「どういうひと」
「普通のOLの娘よ」
「ふーん、よくここに来るの」
「たまにね」
昭生はまたパソコンを開いた。やはり残高は二十億円と百円だった。
「うーん、どうするか」と悩んだ挙句、
「よし、使ってしまおう」と決心した。
だが貧乏人の性なのか使い道が分からない。それでひとまず衣類から買い揃えた。だが成金は嫌だ、地味な服装にした。
「次は住居かあ…、うーん」なかなか心が定まらず、考えあぐねた。
次の日の夕暮れ時、また美沙というスナックに行った。そこには美しい女性がいた。
「昭生ちゃん、お飲み物はいつもの水割りでいいの」とママが言った。
「うん」
「朱美(あけみ)ちゃん、こちらが昭生君」
「よろしく」
「こちらこそよろしく」と朱美は言った。
「朱美ちゃん、このお刺身食べてみて」とママが言った。
「はーい」
「昭生ちゃんもどうぞ」とママの美沙が刺身を出した。
「それで昭生さんは何のお仕事をなさってらっしゃるの」と 聞かれたくないことを朱美は聞いてきた。
昭生は咄嗟に「事業を始めようかなと思ってる」と言ってしまった。
「わー、事業」
「何の事業」と聞かれた。
「それについてなんだけどなあ、朱美さんのアドバイスも聞かせてもらいたいな」
「いいよ、じゃあ、まだ何の事業をするのか決めてないの」と朱美は聞いた。
「そう」
「ひょっとしたら、物凄いお金持ち」
「まあそんなところ」
「へーえ」
「朱美さんは何か特技とかはあるの」
「介護士の資格は持ってる」
「福祉関係か、その事業もいいね。できたら相談に乗ってくれる」
「いいですよ」と朱美は言った。
「じゃあ暇なときに電話してくれる」と 昭生はメモ用紙に携帯の番号を書いて渡した。
「わかった」と朱美は答えた。
「事業かあ…」昭生は何となく未来が開けてくる予感がした。
次の土曜日、朱美から電話があった。それで近くのファミレスで待ち合わせることにした。朱美は黒のスーツ姿でやってきた。
「お待たせ、待った」
「いや僕も着いたとこ、何がいい紅茶にする」
「うん、アイスティ」
昭生は朱美の前にアイスティを運んできた。
「事業のことなんだけど、障害者自立支援センターなんて作ってみたらどうだろう」
「えーなになに、そんなにお金があるの」
「実はね」と、昭生はこれまでのことを全て話した。
「えー、二十億」
「そう、二十億円」
「手伝ってくれるかなあ」
「うん手伝う、ふうー」と朱美は言った。
「じゃあさあ、土地建物はどうするの」
「買う、三階建てか四階建ての中古物件のビルを買う」
「横浜市内で」
「そう、一階が作業場で二階が食堂、三階が事務室兼寝室」
「作業場って」
「菓子箱折りとか、簡単な部品の組み立てなど何でもいいんだ、とにかくお昼の食事をメインにするんだ。時間割は9時半からお昼の3時半まで」
「わかった、人は何人雇うの」
「まず栄養士さんだろう、それから作業を見てもらう人が二人、次に仕事を貰ってくる人が一人、運転手さんが一人、車が二台」
「私の寝室は」
「ある」
「わかった。じゃあ始めてみようか」と朱美は乗り気になった。
「人選は私に任せて」と朱美が言い、二人は伊勢佐木町に飲みに行くことにした。
寿司屋で軽く腹ごしらえしてジャズバーで飲んだ。朱美は昭生の肩に体をあずけた。朱美の髪が昭生の頬を撫でた。そして小声で「泊まろう」と朱美は耳元でささやいた。
永楽町のラブホテルで二人は激しく口づけし 互いに愛撫し合い、体を求め合った。その日から連日、昭生と朱美は 愛欲の日々を求め合うようになっていった。
朱美は会社を辞め、昭生とともに不動産屋回りをした。そして石川町で物件を見つけた。そこは小高い坂の入り口にある四階建てのエレベーターのあるビルだった。昭生は内装工事の指示をした。入り口をスロープにし、強度に関係のない部屋の壁は取り除いた。そして三階を食堂にし、四階を朱美と昭生だけの部屋にした。
昭生は自由に使えるクレジットカードを朱美に渡した。朱美は栄養士と介護福祉職のできる年配の職員を見つけて来た。バン二台も購入した。さてグループの名前を付ける時が来た。
「何がいい」と昭生が皆に聞いた。
「んー」
「自立支援どんぐり」
「あ、それいいかも」と朱美の一言で、《自立支援どんぐり》に決まった。
「それから、どうして入所者を集めるの」と朱美が聞いた。
「それは任せてくれ」と昭生が言った。
そして寿町から人のいい生活保護を受けている人を十人ほど集めて来た。職員たちは横浜市健康福祉局障害福祉部に足を運んだ。新聞広告にも《自立支援どんぐり》と出した。
最初はお食事の会であった。でもそれでよかった。寿町の人たちは一食分助かると喜び、進んで自立支援が必要な人たちを集めてきてくれた。それから徐々にではあるが人が増えて来た。
職員総出で仕事探しに駆け回った。昭生は「割に合わなくてもいいから、仕事を見つけよう」と言った。それでやっと鉄工所の仕事を見つけて来てくれた。それはボルトにワッシャとナットを付けるだけの仕事だった。皆は生き生きと仕事をした。人は生きがいを見つけると変わるものだと実感した。
またパソコンを解体する仕事も出て来た。横浜市立図書館からは古本の山が到着した。それを破って古紙に戻す作業だ。そしてだんだんと仕事の量も増えて来た。菓子折りの箱作りの注文も来た。職員には損得抜きなのだからお金の心配はしないでといってある。
食事だけは贅を凝らしたものを作った。それを三階の食堂でみんなで美味しく頂いた。全員お昼時間を待ちわびていた。
昭生と朱美がそろって外出すると、入所者の啓子が「どこいくの、ラブホテル」と聞く。
「さあ、どうだかな」と言うと「キャー、ラブホに行くんだ」と笑う。
朱美が顔を赤らめる。
それから二人は昼間からラブホテルに行き、朱美の火照った体は激しく燃え、とぎれとぎれに大きな喘ぎ声を出していた。
自立支援どんぐりの開所日からひと月が経った。
職員には給料、入所者には工賃が支払われた。もちろん大赤字である。でも何十億円もあるのだから、さしたることはない。職員にもそれとなく伝えていた。NPO法人にもなれそうだ。
「あ、そうか」と昭生が言った。
「どうしたの昭生さん」
「結婚するのを忘れてた。あけみ僕と結婚してくれる」
「はい」と神妙に畏まって朱美は答えた。
朱美は当に婚姻届を持っていた。それで職員に保証人になってもらい区役所に行った。
「どんぐり」にはあまり揉めごとがなかった。職員がおおらかな人だったからだ。性格と能力に合わせてグループ分けをした。
「そんなに急がなくてもいいよ」と 箱折りしている啓子に優しくおじさんの職員が言う。
啓子はイヤホンで音楽を聴きながらマイペースで菓子折りの箱作りをし始めた。
「みんな、競争じゃないんだからね」とおじさんは言った。
金曜日の午後からはカラオケ大会で、それが終わると 皆は三々五々と帰っていく。運転手は遠方の人たちを送っていった。彼は月曜日の朝まで帰っては来ない。残るのは 昭生と朱美の二人だけになった。
「昭生さん しよう」
「ん 」
と、ここで昭生は目が覚めた。
「うーん、夢か」
「手の込んだ夢だったなあ」
「第一、福祉なんか興味もないし自立支援っていったい何だ」
昭生は枕元にあったパソコンを開いてA銀行の残高を調べた。100円であった。普段利用しているB銀行の残高は451万5千12円あった。
「だよなあ」
「そうだよなあ」
「一日の振込み限度額が二千万だろ」
「それを百回もか」
「笑えるよなあ」
昭生はその日、職安の帰りにスナック美沙に寄った。
「昭ちゃん、いつものね」と言って水割りを作ってくれた。
昭生は昨夜の夢について考えていた。
「昭生ちゃん、なに考えてるの」とスナックのママが聞いた。
「えっ、うん 仕事のこと」と答えた。
「嘘ばっかり、女の子のことでしょう」と美沙が言った。
「女はおらん」
「一人も」
「うん」
「じゃあ、今度女の子を紹介してあげようか」
「いいよ」
「ほんとに、後悔するわよ」
「どういうひと」
「普通のOLの娘よ」
「ふーん、よくここに来るの」
「たまにね」
昭生はこの会話をどこかで聞いたことがあるような気がした。夢の中か。昭生はヤケ酒を飲んで歌った。《かあちゃんのためなら、えーんやこら、とうちゃんのためなら、えーんやこら、もひとつおまけーに、えーんやこら…》
歌い終わって家路についた。
次の日の夜もまたスナック美沙に寄った。そこには美しい女性がいた。
「昭ちゃん、お飲み物はいつもの水割りでいいの」とママが言った。
「うん」
「朱美ちゃん、こちらが昭生君」と美沙が紹介した。
「よろしく」
「こちらこそよろしく」と朱美は言った。
「朱美ちゃん、このお刺身食べてみて」とママが言った。
「はーい」
「昭生ちゃんもどうぞ」とママの美沙が刺身を出した。
「それで昭生さんは何のお仕事をなさってらっしゃるの」と 聞かれたくないことを朱美は聞いてきた。
「今は失業中」と昭生は答えた。
「ふーん、その前は」
「一級土木士」
「へーえ、凄いじゃん」
「凄くないよ、設計から現場監督までやらされるんだよ」
「今度一緒にお食事にでも行かない」
「え 」
「いろいろお話聞きたいもん」
「いいけど」
「ママおかわり」と朱美は水割りを頼んだ。そして手帳を破り何やら数字を書き込んだ。そして「ここに電話して」と昭生に渡した。
「する、必ず電話する」昭生も自分の携帯番号を書いて渡した。
美沙が水割りを二杯運んできて「何か歌って」と言った。それで昭生は「浪速恋しぐれ」を頼んだ。
都はるみと岡千秋の曲が流れて来た。昭生は朱美と二人で歌った。《(男)芸のためなら女房も泣かす それがどうした文句があるか… (女)そばに私がついてなければ なにも出来ないこの人やから…》
歌い終わると朱美は帰っていった。昭生は嬉しかった。その夜は深酒してふらふらしながら家路についた。
翌朝、朱美から電話がかかって来た。
「今日11時に待ち合わせしない」
「分かった、どこ」
「長者町のガスト」
「うん分かった、行く」
昭生は身支度をした。人生こんなに嬉しいことはない。今日は土曜日なので混んでいるだろうと早めに出立し、席を確保した。
朱美は時間どおりに黒のスーツに膝頭までの黒いスカート姿で現れた。
「お待たせ」
「いえいえ、こちらこそ」
二人はドリンクを取りに行った。朱美はアイスティ、昭生はアイスコーヒーをテーブルに運んだ。
「それで今は失業中なの」と朱美が聞いた。
「そう、仕事はあるんだけど中々条件が合わないんだ」
それから昭生は夢の話をした。ただ朱美とのSEXだけは話さなかった。
「ええー、二十億っ」朱美は驚いた。
「はっはっは、だろ、おかしな夢だった。朱美さんは何のお仕事」
「普通のOL」
「じゃあ、ご飯でも食べに行くか、焼肉にする」
「いいわ」
昭生と朱美はタクシーに乗り、伊勢佐木町の安楽亭に行った。そこでカルビとロース、野菜を頼んで焼酎のつまみにした。程よく酔いが回ってきたころ 二人は手をつなぎ、みなとみらいの公園の芝生まで歩いて来た。そこでは大勢のアベックがいちゃついている。
昭生は朱美のためにハンカチを広げ、二人で芝生の上に座った。昭生は「恋人はいるの」と聞いてみた。朱美は「今はいない」と返事をした。
昭生は朱美の肩にそっと手をかけた。朱美は身を崩し昭生に寄り添い、じーっと昭生の眼を見つめた。昭生が顔を近づけると朱美は眼をつぶった。昭生は朱美の唇にキスをした。朱美も震える昭生の鼓動を感じた。朱美は抱きついて舌を入れて来た。昭生も舌を入れて互いにからませた。昭生は朱美の頭を強く抱きしめ、激しく唾液を吸い唇を舐め合った。
朱美は小さな声で「行こう」とささやいた。
昭生はとぼけて「どこへ」と言った。
「ホテル」と昭生の耳元で朱美はささやいた。
朱美は昭生の手を取り立ち上がったが、昭生は立ち上がらない。
「ちょっと待って、固くなってるから」
「ふーんテント張ってるのね、じゃあ雑談でもしようか」と朱美が言った。
その後、二人は石川町のラブホテルにいた。昭生は朱美の乳首も恥部も優しく舐め続けた。朱美は全身がしびれ痙攣して愛液がほとばしっているのを感じた。昭生は前戯に時間をかけた。朱美には新らしい感覚だった。あらためて昭生の優しさが身に染みた。昭生は正面座位で朱美を股間の上に乗せ、朱美はゆっくりと深く挿入し密着して抱き合い、それから朱美は腰を激しく上下に動かした。次に昭生は朱美の足を肩に乗せ、獅子舞の体位に移った。朱美は何度も何度も昇天し最後に思わず大きな声をだし、ぐったりとなった。二人はそのままいつまでも抱き合っていた。朱美の汗にまみれた額の髪の毛を、優しくかき上げる昭生がそこにはいた。朱美はまだ体全体に残る心地よいしびれの余韻に浸っていた。
「昭生さん、よかった」
「僕もだよ」
「毎日しようね」
「うん」
「昭生さん」
「うん」
「ねえ、昭生さん」
「うん」
「なに寝ぼけてるんだよ」
「え、ここはどこ」
「ここは、《どんぐり》」
「どんぐり」
「きのうの夜は激しかったから無理ないけど」と言って朝から唇を押しつけ、ディープキスをしてくれた。
「えー、夢か」
朱美は昭生を起こすと、台所に行って朝ごはんを作り始めた。
「夢か、そうするとお金は」
昭生はベッドから起きると、パソコンを開いてA銀行の残高照会を見た。
「まだ18億2千万円残ってる」
朱美がご飯の用意が出来たと伝えに来た。それで入念に歯を磨き顔を洗い、髭を剃った。食卓につくと朱美がテレビを映した。ちょうどニュースの時間だった。
テレビからは「ヤマザキ ヒサトシ」が殺されたと伝えている。
「んっ」
「聞き覚えのある名前だ」
「そうだ、あの振込み主だ」と昭生は言った。
テレビ報道によれば、山崎久敏は某国の諜報員で警視庁と公安部がマークしていたところ、何者かに銃撃されたらしい。どうやら自衛隊の国家機密を多額のお金で買収するのが役目だったとのことで、使用された弾丸は自衛隊仕様の9mm弾だったそうである。
「あなたの名前も出たわよ」
昭生と同姓同名の男は自衛隊の海将だった。某国の工作員により殺害された可能性があるとテレビで放送していた。陸上自衛隊陸将も警視庁と公安部で取り調べを受けているとの報道があった。
「これでやっと理由が分かった、ヤマザキ ヒサトシは海上自衛隊の機密を知ろうとして、間違って私の口座に振り込んだに違いない」
「すると海将はお金を受け取ってないから、情報は洩れなかったのね」と朱美は言った。
「そう、怒った某国の工作員は海将を暗殺した」
「僕のA銀行の普通口座の末尾は7だ、それを1と勘違いしたのかも知れない」
「二人とも死んだから、疑われることはないわよね」
「疑われない、真相は闇の中だ」と昭生が言った。
「よかったー」と朱美は昭生に抱きついた。朱美も内心怖がっていた。某国のスパイと国賊である売国奴は死んだ。何も悲しむことはない。朱美はまだ抱きついていた。
「味噌汁が冷めるよ」
「そうだわ、腹ごしらえしておかないと、今日も大勢来るわよね」と朱美がそう言って二人で朝食をすませた。
「どんぐりころころ ドンブリコ」と昭生が言うと、
「お池にはまって さあ大変」と皿を洗いながら朱美が歌う。
「どじょうが出て来て 今日は」
「坊ちゃん一緒に 遊びましょう」
「さあ、今日はどの子が一番早く来るかな」と昭生が言った。
「当ててみようか」と一階に降りながら朱美が言う。
「だれ」
「啓子ちゃん」
「おはよーう」と啓子が来た。
「ねえ、このCDかけてもいい」
「いいよ」
一階にアップテンポの曲が流れた。それから職員が来てバンが到着し、皆が降りて来た。徒歩で来る人や、自転車で来る人も集まって来た。
「さあ、ラジオ体操から始めよう」
「啓子ちゃんCD止めてもいい」
「いいよ」
《ラジオ体操第一 1 のびの体操… 2 腕を振ってあしをまげのばす運動… 3 腕をまわす運動… 4 胸をそらす運動…》
「では作業は月曜日と同じ、箱折りは節子さんに、古紙作りは糸井さんから、ナット締めは古川君に見てもらって。それからみんな、競争はしなくてもいいんだからね。マイペースで、お昼までの腹ごしらえだからね」と昭生は言った。
それぞれの班は一階と二階に分かれ、朱美は栄養士の千恵子と買出しに行った。入所者はみな太り過ぎだから野菜をたっぷりと買った。朱美は千恵子の手伝いをし、料理の手ほどきをしてもらった。
お昼は三階で、ローストビーフ、ビーフシチューのパイ包み、トロトロ豚の角煮、グツグツグラタン、それに大盛りサラダ、どれも皆は美味しがって食べた。
「さあ、どんぐりのみんな、午後の時間まで一階に降りて遊ベー」と昭生が言った。
啓子が「どんぐりころころ ドンブリコ」と歌いながら階下へ降りて行った。
朱美は「クスッ」と笑った。
あけみは幸せであった。優しい昭生と出会ったのが何よりの幸せであった。 「坊ちゃん一緒にあそびましょう」と、知らずしらずに口ずさんでいた。
「了」 作 森田 博
「えっ」
「そんな」
「 」
「どうなってるんだ」
もう一度 普段使っていないA銀行の口座残高を見た。
「あらー」
桁が10桁になっている。
その先に2がついていた。
「20億」
「嘘だー、夢だ」
振込み名義人は「ヤマサキ ヒサトシ」となっている。
「そんな奴は知らん」
「何かの間違いだ」
昭生(あきお)はパソコンを閉じた。
それから眠れぬ長い夜を過ごした。
「そうだ」
「酒でも飲むか」と焼酎を飲んだ。だが一向に酔えない。
次の日、昭生は恐るおそる またパソコンを開いた。
「消えているか、消えていないか」
「消えとらん」
A銀行には20億円の預金があった。
その日、昭生は職安には行かず、昼間から開いている美沙というスナックで酒を飲んだ。《あの20億円はどうしたらいいんだろう》と考えていた。
「昭生ちゃん、なに考えてるの」とスナックのママが聞いた。
「えっ、うん 仕事のこと」と答えた。
「嘘ばっかり、女の子のことでしょう」と美沙が言った。
「女はおらん」
「一人も」
「うん」
「じゃあ、今度女の子を紹介してあげようか」
「いいよ」
「ほんとに、後悔するわよ」
「どういうひと」
「普通のOLの娘よ」
「ふーん、よくここに来るの」
「たまにね」
昭生はまたパソコンを開いた。やはり残高は二十億円と百円だった。
「うーん、どうするか」と悩んだ挙句、
「よし、使ってしまおう」と決心した。
だが貧乏人の性なのか使い道が分からない。それでひとまず衣類から買い揃えた。だが成金は嫌だ、地味な服装にした。
「次は住居かあ…、うーん」なかなか心が定まらず、考えあぐねた。
次の日の夕暮れ時、また美沙というスナックに行った。そこには美しい女性がいた。
「昭生ちゃん、お飲み物はいつもの水割りでいいの」とママが言った。
「うん」
「朱美(あけみ)ちゃん、こちらが昭生君」
「よろしく」
「こちらこそよろしく」と朱美は言った。
「朱美ちゃん、このお刺身食べてみて」とママが言った。
「はーい」
「昭生ちゃんもどうぞ」とママの美沙が刺身を出した。
「それで昭生さんは何のお仕事をなさってらっしゃるの」と 聞かれたくないことを朱美は聞いてきた。
昭生は咄嗟に「事業を始めようかなと思ってる」と言ってしまった。
「わー、事業」
「何の事業」と聞かれた。
「それについてなんだけどなあ、朱美さんのアドバイスも聞かせてもらいたいな」
「いいよ、じゃあ、まだ何の事業をするのか決めてないの」と朱美は聞いた。
「そう」
「ひょっとしたら、物凄いお金持ち」
「まあそんなところ」
「へーえ」
「朱美さんは何か特技とかはあるの」
「介護士の資格は持ってる」
「福祉関係か、その事業もいいね。できたら相談に乗ってくれる」
「いいですよ」と朱美は言った。
「じゃあ暇なときに電話してくれる」と 昭生はメモ用紙に携帯の番号を書いて渡した。
「わかった」と朱美は答えた。
「事業かあ…」昭生は何となく未来が開けてくる予感がした。
次の土曜日、朱美から電話があった。それで近くのファミレスで待ち合わせることにした。朱美は黒のスーツ姿でやってきた。
「お待たせ、待った」
「いや僕も着いたとこ、何がいい紅茶にする」
「うん、アイスティ」
昭生は朱美の前にアイスティを運んできた。
「事業のことなんだけど、障害者自立支援センターなんて作ってみたらどうだろう」
「えーなになに、そんなにお金があるの」
「実はね」と、昭生はこれまでのことを全て話した。
「えー、二十億」
「そう、二十億円」
「手伝ってくれるかなあ」
「うん手伝う、ふうー」と朱美は言った。
「じゃあさあ、土地建物はどうするの」
「買う、三階建てか四階建ての中古物件のビルを買う」
「横浜市内で」
「そう、一階が作業場で二階が食堂、三階が事務室兼寝室」
「作業場って」
「菓子箱折りとか、簡単な部品の組み立てなど何でもいいんだ、とにかくお昼の食事をメインにするんだ。時間割は9時半からお昼の3時半まで」
「わかった、人は何人雇うの」
「まず栄養士さんだろう、それから作業を見てもらう人が二人、次に仕事を貰ってくる人が一人、運転手さんが一人、車が二台」
「私の寝室は」
「ある」
「わかった。じゃあ始めてみようか」と朱美は乗り気になった。
「人選は私に任せて」と朱美が言い、二人は伊勢佐木町に飲みに行くことにした。
寿司屋で軽く腹ごしらえしてジャズバーで飲んだ。朱美は昭生の肩に体をあずけた。朱美の髪が昭生の頬を撫でた。そして小声で「泊まろう」と朱美は耳元でささやいた。
永楽町のラブホテルで二人は激しく口づけし 互いに愛撫し合い、体を求め合った。その日から連日、昭生と朱美は 愛欲の日々を求め合うようになっていった。
朱美は会社を辞め、昭生とともに不動産屋回りをした。そして石川町で物件を見つけた。そこは小高い坂の入り口にある四階建てのエレベーターのあるビルだった。昭生は内装工事の指示をした。入り口をスロープにし、強度に関係のない部屋の壁は取り除いた。そして三階を食堂にし、四階を朱美と昭生だけの部屋にした。
昭生は自由に使えるクレジットカードを朱美に渡した。朱美は栄養士と介護福祉職のできる年配の職員を見つけて来た。バン二台も購入した。さてグループの名前を付ける時が来た。
「何がいい」と昭生が皆に聞いた。
「んー」
「自立支援どんぐり」
「あ、それいいかも」と朱美の一言で、《自立支援どんぐり》に決まった。
「それから、どうして入所者を集めるの」と朱美が聞いた。
「それは任せてくれ」と昭生が言った。
そして寿町から人のいい生活保護を受けている人を十人ほど集めて来た。職員たちは横浜市健康福祉局障害福祉部に足を運んだ。新聞広告にも《自立支援どんぐり》と出した。
最初はお食事の会であった。でもそれでよかった。寿町の人たちは一食分助かると喜び、進んで自立支援が必要な人たちを集めてきてくれた。それから徐々にではあるが人が増えて来た。
職員総出で仕事探しに駆け回った。昭生は「割に合わなくてもいいから、仕事を見つけよう」と言った。それでやっと鉄工所の仕事を見つけて来てくれた。それはボルトにワッシャとナットを付けるだけの仕事だった。皆は生き生きと仕事をした。人は生きがいを見つけると変わるものだと実感した。
またパソコンを解体する仕事も出て来た。横浜市立図書館からは古本の山が到着した。それを破って古紙に戻す作業だ。そしてだんだんと仕事の量も増えて来た。菓子折りの箱作りの注文も来た。職員には損得抜きなのだからお金の心配はしないでといってある。
食事だけは贅を凝らしたものを作った。それを三階の食堂でみんなで美味しく頂いた。全員お昼時間を待ちわびていた。
昭生と朱美がそろって外出すると、入所者の啓子が「どこいくの、ラブホテル」と聞く。
「さあ、どうだかな」と言うと「キャー、ラブホに行くんだ」と笑う。
朱美が顔を赤らめる。
それから二人は昼間からラブホテルに行き、朱美の火照った体は激しく燃え、とぎれとぎれに大きな喘ぎ声を出していた。
自立支援どんぐりの開所日からひと月が経った。
職員には給料、入所者には工賃が支払われた。もちろん大赤字である。でも何十億円もあるのだから、さしたることはない。職員にもそれとなく伝えていた。NPO法人にもなれそうだ。
「あ、そうか」と昭生が言った。
「どうしたの昭生さん」
「結婚するのを忘れてた。あけみ僕と結婚してくれる」
「はい」と神妙に畏まって朱美は答えた。
朱美は当に婚姻届を持っていた。それで職員に保証人になってもらい区役所に行った。
「どんぐり」にはあまり揉めごとがなかった。職員がおおらかな人だったからだ。性格と能力に合わせてグループ分けをした。
「そんなに急がなくてもいいよ」と 箱折りしている啓子に優しくおじさんの職員が言う。
啓子はイヤホンで音楽を聴きながらマイペースで菓子折りの箱作りをし始めた。
「みんな、競争じゃないんだからね」とおじさんは言った。
金曜日の午後からはカラオケ大会で、それが終わると 皆は三々五々と帰っていく。運転手は遠方の人たちを送っていった。彼は月曜日の朝まで帰っては来ない。残るのは 昭生と朱美の二人だけになった。
「昭生さん しよう」
「ん 」
と、ここで昭生は目が覚めた。
「うーん、夢か」
「手の込んだ夢だったなあ」
「第一、福祉なんか興味もないし自立支援っていったい何だ」
昭生は枕元にあったパソコンを開いてA銀行の残高を調べた。100円であった。普段利用しているB銀行の残高は451万5千12円あった。
「だよなあ」
「そうだよなあ」
「一日の振込み限度額が二千万だろ」
「それを百回もか」
「笑えるよなあ」
昭生はその日、職安の帰りにスナック美沙に寄った。
「昭ちゃん、いつものね」と言って水割りを作ってくれた。
昭生は昨夜の夢について考えていた。
「昭生ちゃん、なに考えてるの」とスナックのママが聞いた。
「えっ、うん 仕事のこと」と答えた。
「嘘ばっかり、女の子のことでしょう」と美沙が言った。
「女はおらん」
「一人も」
「うん」
「じゃあ、今度女の子を紹介してあげようか」
「いいよ」
「ほんとに、後悔するわよ」
「どういうひと」
「普通のOLの娘よ」
「ふーん、よくここに来るの」
「たまにね」
昭生はこの会話をどこかで聞いたことがあるような気がした。夢の中か。昭生はヤケ酒を飲んで歌った。《かあちゃんのためなら、えーんやこら、とうちゃんのためなら、えーんやこら、もひとつおまけーに、えーんやこら…》
歌い終わって家路についた。
次の日の夜もまたスナック美沙に寄った。そこには美しい女性がいた。
「昭ちゃん、お飲み物はいつもの水割りでいいの」とママが言った。
「うん」
「朱美ちゃん、こちらが昭生君」と美沙が紹介した。
「よろしく」
「こちらこそよろしく」と朱美は言った。
「朱美ちゃん、このお刺身食べてみて」とママが言った。
「はーい」
「昭生ちゃんもどうぞ」とママの美沙が刺身を出した。
「それで昭生さんは何のお仕事をなさってらっしゃるの」と 聞かれたくないことを朱美は聞いてきた。
「今は失業中」と昭生は答えた。
「ふーん、その前は」
「一級土木士」
「へーえ、凄いじゃん」
「凄くないよ、設計から現場監督までやらされるんだよ」
「今度一緒にお食事にでも行かない」
「え 」
「いろいろお話聞きたいもん」
「いいけど」
「ママおかわり」と朱美は水割りを頼んだ。そして手帳を破り何やら数字を書き込んだ。そして「ここに電話して」と昭生に渡した。
「する、必ず電話する」昭生も自分の携帯番号を書いて渡した。
美沙が水割りを二杯運んできて「何か歌って」と言った。それで昭生は「浪速恋しぐれ」を頼んだ。
都はるみと岡千秋の曲が流れて来た。昭生は朱美と二人で歌った。《(男)芸のためなら女房も泣かす それがどうした文句があるか… (女)そばに私がついてなければ なにも出来ないこの人やから…》
歌い終わると朱美は帰っていった。昭生は嬉しかった。その夜は深酒してふらふらしながら家路についた。
翌朝、朱美から電話がかかって来た。
「今日11時に待ち合わせしない」
「分かった、どこ」
「長者町のガスト」
「うん分かった、行く」
昭生は身支度をした。人生こんなに嬉しいことはない。今日は土曜日なので混んでいるだろうと早めに出立し、席を確保した。
朱美は時間どおりに黒のスーツに膝頭までの黒いスカート姿で現れた。
「お待たせ」
「いえいえ、こちらこそ」
二人はドリンクを取りに行った。朱美はアイスティ、昭生はアイスコーヒーをテーブルに運んだ。
「それで今は失業中なの」と朱美が聞いた。
「そう、仕事はあるんだけど中々条件が合わないんだ」
それから昭生は夢の話をした。ただ朱美とのSEXだけは話さなかった。
「ええー、二十億っ」朱美は驚いた。
「はっはっは、だろ、おかしな夢だった。朱美さんは何のお仕事」
「普通のOL」
「じゃあ、ご飯でも食べに行くか、焼肉にする」
「いいわ」
昭生と朱美はタクシーに乗り、伊勢佐木町の安楽亭に行った。そこでカルビとロース、野菜を頼んで焼酎のつまみにした。程よく酔いが回ってきたころ 二人は手をつなぎ、みなとみらいの公園の芝生まで歩いて来た。そこでは大勢のアベックがいちゃついている。
昭生は朱美のためにハンカチを広げ、二人で芝生の上に座った。昭生は「恋人はいるの」と聞いてみた。朱美は「今はいない」と返事をした。
昭生は朱美の肩にそっと手をかけた。朱美は身を崩し昭生に寄り添い、じーっと昭生の眼を見つめた。昭生が顔を近づけると朱美は眼をつぶった。昭生は朱美の唇にキスをした。朱美も震える昭生の鼓動を感じた。朱美は抱きついて舌を入れて来た。昭生も舌を入れて互いにからませた。昭生は朱美の頭を強く抱きしめ、激しく唾液を吸い唇を舐め合った。
朱美は小さな声で「行こう」とささやいた。
昭生はとぼけて「どこへ」と言った。
「ホテル」と昭生の耳元で朱美はささやいた。
朱美は昭生の手を取り立ち上がったが、昭生は立ち上がらない。
「ちょっと待って、固くなってるから」
「ふーんテント張ってるのね、じゃあ雑談でもしようか」と朱美が言った。
その後、二人は石川町のラブホテルにいた。昭生は朱美の乳首も恥部も優しく舐め続けた。朱美は全身がしびれ痙攣して愛液がほとばしっているのを感じた。昭生は前戯に時間をかけた。朱美には新らしい感覚だった。あらためて昭生の優しさが身に染みた。昭生は正面座位で朱美を股間の上に乗せ、朱美はゆっくりと深く挿入し密着して抱き合い、それから朱美は腰を激しく上下に動かした。次に昭生は朱美の足を肩に乗せ、獅子舞の体位に移った。朱美は何度も何度も昇天し最後に思わず大きな声をだし、ぐったりとなった。二人はそのままいつまでも抱き合っていた。朱美の汗にまみれた額の髪の毛を、優しくかき上げる昭生がそこにはいた。朱美はまだ体全体に残る心地よいしびれの余韻に浸っていた。
「昭生さん、よかった」
「僕もだよ」
「毎日しようね」
「うん」
「昭生さん」
「うん」
「ねえ、昭生さん」
「うん」
「なに寝ぼけてるんだよ」
「え、ここはどこ」
「ここは、《どんぐり》」
「どんぐり」
「きのうの夜は激しかったから無理ないけど」と言って朝から唇を押しつけ、ディープキスをしてくれた。
「えー、夢か」
朱美は昭生を起こすと、台所に行って朝ごはんを作り始めた。
「夢か、そうするとお金は」
昭生はベッドから起きると、パソコンを開いてA銀行の残高照会を見た。
「まだ18億2千万円残ってる」
朱美がご飯の用意が出来たと伝えに来た。それで入念に歯を磨き顔を洗い、髭を剃った。食卓につくと朱美がテレビを映した。ちょうどニュースの時間だった。
テレビからは「ヤマザキ ヒサトシ」が殺されたと伝えている。
「んっ」
「聞き覚えのある名前だ」
「そうだ、あの振込み主だ」と昭生は言った。
テレビ報道によれば、山崎久敏は某国の諜報員で警視庁と公安部がマークしていたところ、何者かに銃撃されたらしい。どうやら自衛隊の国家機密を多額のお金で買収するのが役目だったとのことで、使用された弾丸は自衛隊仕様の9mm弾だったそうである。
「あなたの名前も出たわよ」
昭生と同姓同名の男は自衛隊の海将だった。某国の工作員により殺害された可能性があるとテレビで放送していた。陸上自衛隊陸将も警視庁と公安部で取り調べを受けているとの報道があった。
「これでやっと理由が分かった、ヤマザキ ヒサトシは海上自衛隊の機密を知ろうとして、間違って私の口座に振り込んだに違いない」
「すると海将はお金を受け取ってないから、情報は洩れなかったのね」と朱美は言った。
「そう、怒った某国の工作員は海将を暗殺した」
「僕のA銀行の普通口座の末尾は7だ、それを1と勘違いしたのかも知れない」
「二人とも死んだから、疑われることはないわよね」
「疑われない、真相は闇の中だ」と昭生が言った。
「よかったー」と朱美は昭生に抱きついた。朱美も内心怖がっていた。某国のスパイと国賊である売国奴は死んだ。何も悲しむことはない。朱美はまだ抱きついていた。
「味噌汁が冷めるよ」
「そうだわ、腹ごしらえしておかないと、今日も大勢来るわよね」と朱美がそう言って二人で朝食をすませた。
「どんぐりころころ ドンブリコ」と昭生が言うと、
「お池にはまって さあ大変」と皿を洗いながら朱美が歌う。
「どじょうが出て来て 今日は」
「坊ちゃん一緒に 遊びましょう」
「さあ、今日はどの子が一番早く来るかな」と昭生が言った。
「当ててみようか」と一階に降りながら朱美が言う。
「だれ」
「啓子ちゃん」
「おはよーう」と啓子が来た。
「ねえ、このCDかけてもいい」
「いいよ」
一階にアップテンポの曲が流れた。それから職員が来てバンが到着し、皆が降りて来た。徒歩で来る人や、自転車で来る人も集まって来た。
「さあ、ラジオ体操から始めよう」
「啓子ちゃんCD止めてもいい」
「いいよ」
《ラジオ体操第一 1 のびの体操… 2 腕を振ってあしをまげのばす運動… 3 腕をまわす運動… 4 胸をそらす運動…》
「では作業は月曜日と同じ、箱折りは節子さんに、古紙作りは糸井さんから、ナット締めは古川君に見てもらって。それからみんな、競争はしなくてもいいんだからね。マイペースで、お昼までの腹ごしらえだからね」と昭生は言った。
それぞれの班は一階と二階に分かれ、朱美は栄養士の千恵子と買出しに行った。入所者はみな太り過ぎだから野菜をたっぷりと買った。朱美は千恵子の手伝いをし、料理の手ほどきをしてもらった。
お昼は三階で、ローストビーフ、ビーフシチューのパイ包み、トロトロ豚の角煮、グツグツグラタン、それに大盛りサラダ、どれも皆は美味しがって食べた。
「さあ、どんぐりのみんな、午後の時間まで一階に降りて遊ベー」と昭生が言った。
啓子が「どんぐりころころ ドンブリコ」と歌いながら階下へ降りて行った。
朱美は「クスッ」と笑った。
あけみは幸せであった。優しい昭生と出会ったのが何よりの幸せであった。 「坊ちゃん一緒にあそびましょう」と、知らずしらずに口ずさんでいた。
「了」 作 森田 博
by hirosi754
| 2014-01-30 10:49
| 小説