「覚永和尚」

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 時は平安時代。飢饉や辻風などの天変地異が打ち続き、都は衰微していた。
 ここは山深い峠道である。覚永和尚は安国寺へと道を急いでいた。
 道すがら「この集落、何かあるな」と感じた。
 ひでりが続き 田畑は乾き雑草だけが生い茂り、ところどころ灌木も生えかけている。
 ここの集落の農民が、どれほどの飢餓に襲われているのかが 手に取るように分かった。

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 夕暮れが迫って来ている。とても今日中には安国寺にたどり着けない。そこで一軒の農家に宿を請うことにした。
 「お頼み申すー」
 「一晩泊めてもらえぬであろうか」
 「我は一介の僧でござる」
 「決して怪しいものではござらぬ」
 「お頼み申すー」
 と言ったが、返事はない。

 覚永坊が引き返そうとしたとき、雨戸が少し開き 老婆が顔を見せ、
 「あいやあ、お坊さんでしたか」
 「是非ぜひ、家にお泊り下さい」と言った。
 「そうか」
 「それは かたじけない」と錫杖を鳴らし覚永和尚はその家に入った。
 すると、お婆さんが堰をきって話し始めた。お爺さんは「まあ、その話はあとで」と遮り、「ささ、ご一献」と、どぶろくを勧めた。

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 呑むほどに酔うほどに、話は佳境に入った。飢饉が続きこの地の農民はあわ、ひえ、葛わらび、草の葉まで食していることが分かった。この飢饉でこの年数百人が餓死したということも分かった。

 a0144027_9251498.jpg「幸いにも我が家には柿の木があってのう」
 「渋柿じゃが、吊るし柿にしてな」
 「それで飢えをしのいでいたのじゃが」とお爺さんは言った。
 そこでお婆さんが いてもたってもいられずに、
 「あの餓鬼どもが根こそぎ喰ろうて行きおった」
 「だから外に干していた干し柿はもう残ってはおらん」「畜生どもめが」と言った。
 「餓鬼とは、」と和尚は聞いた。

 a0144027_1839227.jpg「妖怪じゃって、この世のものとは思えん姿かたちをしておってな」
 「雲のような霞のような、こう、何と言うたらええんかな、もやもやっとした中になあ、五、六百人の餓鬼どもがいてなあ、そいつらが《腹減ったー、腹減ったー》と叫び、一戸一戸の家を叩き、《飯食わせろー、飯食わせろー》とわめきたててな、でもそれでも誰も家から出んからな、それで吊るし柿とか、吊るし大根とかを喰らって行きおってな、だからほれ、吊るし柿は家の中に吊るしてあるわいな」と、ばあ様が言った。
 そういえば、吊るし柿が家の中に吊るしてある。

 「ふーん、面妖な」と和尚は思った。
じい様は、「まあ、この部落で亡くなった人たちだからなあ」「おい、干し柿の一つでも外に干したらどうじゃ」と、ばあ様に言った。ばあ様は、干し柿の束を軒先に吊るした。
 「これも施餓鬼じゃ」と言って、南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…と、じい様は唱えた。
 覚永和尚は、じい様とばあ様に炉辺の縁で どぶろくを酌み交わしながら、あんな広大な原野があるのに、何故この集落は貧しいのかと聞いてみた。
 じい様が言った「ここには田に注ぐ水がないんじゃ」、ばあ様は「ここの小川は小さくて どじょうくらいしか取れんで、それを佃煮にしとるんやで」と言った。

 a0144027_926318.jpgその時、餓鬼どもがやってきて《腹減ったー、腹減ったー、飯を食わせろー、飯食わせろー》と、戸口を叩いた。
 ばあ様が「飯はない、そこの軒下にある干し柿を食え」と言った。
 餓鬼どもは先を争って干し柿を食っている。
 覚永和尚は、雨戸を少し開け、餓鬼どもの様子を見た。それは地を這う雲のような霞ががった異形な幽魂たちであった。
 覚永坊には恐れるには足らぬが憐れに思った。幽魂どもは また次の家に行っては干し大根を食いに行っている。《腹が減ったー、飯が食いたい、何か食わせろー》と喚いていた。

 その思いは、覚永和尚にも分かる気がする。覚永阿闍梨が千日行を行う初めがそうであった。だが覚永は耐えた。そして超えた。
 食欲もまた煩悩である。
 そして千日行の間に幾つもの離れ業を身に着けた。金剛・胎蔵両界の灌頂も授けられたし、幽体離脱は無論のこと、化身分離法も施餓鬼供養法も習得していた。
 霞がかった地を這う雲のような餓鬼の幽魂どもは、嵐のように現れ そして去って行った。
 覚永御坊はその夜、じい様の酌で どぶろくを飲ませてもらい、貴重な干し柿と どじょう汁を頂き、一夜を過ごした。

 次の日、お爺さんとお婆さんに別れを告げ、覚永和尚は安国寺へと向かった。
 安国寺に到着した覚永和尚は、さっそく護摩壇に座り梵木に火をともし護摩を焚いた。

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 「南無金剛薩埵怨霊退散」と護摩木を焚きながら繰り返し祈祷している。
 祈祷しながらも覚永坊の分身は空高く舞い上がり、ここの集落と、隣村までを見下ろしていた。隣の村には大きな池があった。それに土蜘蛛のような妖怪がどこに潜んでいるかも分かった。
 護摩壇の火がひときわ高く燃え上がった。
 雲のような妖怪は、街道の三叉路にある荒れ果てた六角堂のくぼ地に渦巻いていた。そこで通る人々に《腹が減ったー、何か食わせろー》と襲いかかる。驚いた旅人は おにぎりを放り出して逃げる。そのおにぎりを餓鬼どもはむしゃむしゃと喰らっていた。

 a0144027_1020123.jpg覚永和尚は錫杖を持ち、小僧と共にその六角堂に行った。
 そして「出でよ化け物」と言った。
 雲のような妖怪がうごめきだし、覚永坊に迫った。
 覚永は錫杖を突き立て「喝」と言った。
 妖怪は動きを止めた。
 覚永和尚は数珠を手にし、真言を唱え始めた。
 「おん あぼぎゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」と七遍唱えると、
 地を這う雲が消え、餓鬼どもが五百人ほど出て来た。

 そこで覚永和尚は錫杖を三度地に打ち、錫鈴を鳴らすと、
 五百人ほどの餓鬼は、五百頭ほどの山羊に変わった。
 山羊が勝手に動き回らないように結界を張った和尚は、小僧に首輪を持って村人を呼んでくるように頼んだ。
 村人たちが総出で、おのおの荒縄を持って現れた。
 覚永和尚の言いつけで、山羊に荒縄で作った首輪をつけ、もはや田畑とは言えぬ原野に連れて行った。そしてそこへ山羊たちを放った。

 覚永坊は、村人たちに山羊が逃げ出さないように、囲いを作るように頼んだ。村人たちは総出で広大な荒れ地に囲いを作り始めた。
 五百頭もの山羊の群れは、もともとが餓鬼道に堕ちた者たちであったがため、猛烈な勢いで草を食んでいる。《メエー、ウメエー》と鳴きながら草を食んでいる。

 覚永和尚は村人たちに、原野の中ほど辺りに、山羊が雨露をしのぐ小屋を建てさせた。
 少女とお婆さんたちは、山羊の乳を搾り、大人たちは灌木の木と根を掘り起し、斧で細かく割り囲炉裏にくべていた。

 a0144027_1205056.jpg栄養が十分に取れた山羊たちは、次々と子ヤギを生み出し始めた。
 子ヤギはまた、村人たちの食糧にもなった。村人たちの栄養状態も良くなってきている。だが親ヤギには村人たちは手を付けなかった。もともとが餓鬼である。乗り移って来られても困る、自分が餓鬼になることを恐れていた。


 それから数か月が経った。
 原野には一本の草木も生えていなかった。みな山羊が食った。
 覚永和尚は山羊たちに言った。
 「これからお前たちを百姓に戻す」
 「  」
 「もうお前たちは死んでいるのだから、本当の人ではないがそれでも好いか。この世で善行を積み、あの世で幸せに暮らすか、それともこのまま昇天し閻魔大王に会いに行くか、いずれか良いか」と尋ねた。
 「和尚さま」
 「なんだ」
 「どうか、百姓に戻してくれ。閻魔さまのところには行きたくない」と山羊たちが言う。
 「では」と、覚永和尚は錫杖を三度地に打ちつけ、
 「おん さんまや さとばん おん さんまや さとばん おん さんまや さとばん」と真言を唱えた。

 するとそこには五百人ほどの百姓たちが現れた。
 覚永和尚は「ここに田んぼを作る。皆は百姓だから要領は心得ていると思うが、まず水路と堰を作れ、水の流れはあの岩山から、小川にかけて流れるように」と言った。
 「えっ、水のない岩山から水路を作るとは、どうにも合点がいきませぬが」と餓鬼であった百姓が言う。
 「承服できないものは、また山羊に戻るか、牛になってもらう」と、覚永坊が言った。
 「あ、それだけはご勘弁してください」と先ほどの百姓が言った。
 「では、水路作りだが、四方に分かれるよう作るように」と言い、小僧に村人の鋤クワを集めてくるように伝えた。
 村人も見学に来ている。皆は鋤クワを与えた。そして成り行きを眺めていた。
 水路と堰が完成すると、今度は小石を拾えと言う。
 餓鬼どもは小石を拾い、籠に詰めて荒野であった平原の外に石垣を積んだ。
 村人たちは何も分からず「ここには芋が植えられるぞ」と思ってか、小石を拾い始めた。

 a0144027_9465332.jpg「さて頃はよし」と覚永和尚は思い、
 金剛の錫杖を「えい、」とばかりに、岩山めがけて投げ込んだ。
 その錫杖は岩山を貫通し 隣村の湖を抜け、覚永坊のもとへ帰って来た。
 岩山からは水がほとばしり、
 ほどなく滝となって激しく流れ落ちた。
 水は水路を超え、平原は水浸しになった。

 「さて悪いが今度は牛になってもらう」と餓鬼の百姓たちに和尚は言った。
 「ええ、また畜生にか」
 「今でも畜生と変わらん」と覚永和尚は言う。
 「もっと功徳を積みなされ」
 「さすれば来世は、百姓ともお別れじゃ」と言った。
 「  」
 「ひゃ、百姓ともお別れか」
 「なら、牛でもなんでもなってやろうじゃないか」
 「うん、来世で百姓とおさらばなら、怖いことはなーんにもない」と、餓鬼のひとりの百姓が言った。
 「そうか、そうだな、それならいい」と言うことになり、覚永和尚を見つめた。
 「  」
 「牛でかまわんか」
 「かまわん」
 「そうか」では真言を唱えよう、と言って錫杖を三度大地に打ち立て、
 「おん あぼぎゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」と七遍唱えた。

 a0144027_9522991.jpgすると、餓鬼であった百姓が牛になっていた。
 村人は、数百頭もいる牛に付ける鋤を作るのに大忙しであった。
 牛たちは、水田の泥んこの中を動き回っていた。それだけでも効果はあった。
 さて、村人たちが作った鋤を、五百頭あまりもの牛につけて、水に浸かった平原を耕し始めた。だんだんと水田らしく整ってきた。そこには広大な水田が開けていた。

 牛たちが《モウ》と言ってきた。
 「よしよし分かった、もとに戻す」と覚永和尚が言い、錫杖を鳴らし、
 「おん あぼぎゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」と七遍唱えた。
 そしてまた餓鬼の百姓に戻した。

 「さあ、もう天界に戻っても良いぞ」
 みな黙っている。
 「どうした」
 「閻魔さまにはこの坊がよく伝えておくから」
 「決して悪いようにはなさらぬ」
 「どうしたのだ」

 餓鬼の百姓の一人が、
 「まだ畦が出来とらん」と言った。
 みな根っからの百姓と見える。
 なるほどな、田の形にするにはあぜ道が必要だな、と覚永和尚は思った。
 「では頼む」
 五百人あまりの労働者があぜ道を作り始めた。

 村人たちは、今までの小さい田んぼに、かつてないほどの稲の苗を植えていた。
 覚永和尚がこの地に来て最初の日に泊まった、お爺さんとお婆さんの家では、お婆さんが村中の家から端切れを貰い、その端切れで五百人あまりの赤や黄色の羽織を作っていた。

 a0144027_9565586.jpgあぜ道ができると、
 「もうよい、ご苦労であった」
 「皆それそれ天界に帰るがよい」と覚永御坊が言った。
 誰も動かない。
 「どうしたのじゃ、もう結界は解いてある。天界に昇るのもよし、下界を気ままに眺める旅もまたよし、自由自在じゃ」
 「どうした」
 「  」
 「稲を植えたい」と、一人の飢餓老人が言った。
 「おれも」
 「わしも」
 是非、稲を植えさせてほしい、と皆が言った。
 根っからの百姓魂か、それとも無意識の飢餓意識から生じて来たものか、実りが欲しいという気持ちは、人間を含め万物共通の宿命なのだろうか、「うーん」と覚永和尚は思った。

 そこへお婆さんが「みなさん寒かろう」と、赤やら黄色の継ぎはぎの羽織を持ってきた。それでみんなは継ぎはぎだらけの羽織をありがたく貰い、「お婆さんの干し柿、美味かった」と言いつつ羽織を頂いた。
 みなはそれぞれの村人の家に寄宿して、粗末ながらも食事にありついた。
 もう《腹減ったー、飯ー、飯食わせろー》とは誰も言わなくなった。
 そしていよいよ田植えの季節が到来した。

 覚永和尚は、五穀豊穣の護摩を焚いた。
 村人総出で、赤や黄色の羽織を着た飢餓衆と入り乱れ、田植えが始まった。あまりの広大な面積のため、田植えは日の入りから夕方にかけて、都合七日を要した。
 時は、重ねて言うが、平安時代の後期。飢饉や竜巻などの天変地異が打ち続き、都は衰微し、あちこちで ひでりが続き、国中は飢餓地獄さながらであった。

 「なあ」と餓鬼衆が言った。
 「ん」
 「もう少しここにおるか」
 「というと」
 「収穫も見てみたいし」
 「うん」
 「雨風から、この田んぼを守ってやりたい」
 「うーん、そうだな」
 そこで餓鬼衆の一人が覚永和尚を尋ねに安国寺に行った。

 a0144027_21551354.jpg覚永和尚が出て来た「何の用じゃ」
 「おらたちは木にならんか」
 「ん、木とは」
 「このところ北風が強いので、そこでおらたちが木になって田んぼを守ってやりたい」
 「うーん、殊勝な心掛けじゃ」と言い、
 「木にはなれぬが、木に憑依はできる」
 「それでは北の方角に木を植えてみよう、さすれば憑依も出来ようぞ」
 「さっそく五百本の銀杏の木を植えてみよう」と言った。
 「お主らの念力次第で、木の生長はいくらでも伸びようぞ」と、覚永和尚は言った。
 それで田んぼの周りに、村人たちと共に五百本あまりもの銀杏の木が植えられた。

 a0144027_10162938.jpg覚永和尚は、赤や黄色の継ぎはぎの装束を身に着けた餓鬼衆を呼び集め、護摩を焚き、
 「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」と真言を唱え、それぞれの名を呼び、それぞれの木に憑依させた。
 そしてその木々は勢いよく成長しだした。稲の生長より早く北風から稲を守った。

 月日は流れ、稲はこうべを垂れ、銀杏の木は大木になっていた。
 覚永和尚は、銀杏の木に憑依した餓鬼衆を引き離した。餓鬼衆は喜んで人の形になり赤や黄色の継ぎはぎだらけの羽織を羽織った。
 収穫の時が近づいてきた。たわわに実った黄金色の稲穂を見て、飢餓に苦しんできた餓鬼衆は泣いた。嗚咽した。涙がこぼれて来ていた。
 明日は収穫の日だ。待ちに待ったその日を前に、村人も餓鬼衆も飲んで踊って歌って騒いだ。村人の眼からも涙がにじんでる。

 さて収穫の日が来た。村人も餓鬼衆もみなこぞって稲刈りをし、それを束にして太い丸太の櫓に挟んで、稲の根が乾燥するまで待った。収穫が終わるまで都合七日間を費やした。
 日はさんさんと照り輝き数週間がすでに過ぎた。

 a0144027_107314.jpg稲穂の実が乾燥した。
 それを脱穀し、水車小屋で精米した。その最初の新米を村人たちは餓鬼衆に振舞った。
 餓鬼衆は泣きながら何杯もおかわりした。おかずは たくあんだけで充分だった。
 もう餓鬼衆は餓鬼ではなくなっていた。お腹もそうだが、胸もいっぱいになっていた。それに天界に帰る時期も近づいている。

 覚永和尚はかつての飢餓衆に、錫杖の鈴を鳴らし、
 「もうそなたたちには、何のけがれもない。さあ、我が家に帰られよ」と言うと、
 「願似此功徳 普及於一切 我等輿衆生 皆共成仏道…」と読経し始めた。
 元飢餓衆は涙を流して聞き入った。
 「おん ぼうじしつた ぼだはだやみ おん ぼうじしつた ぼだはだやみ おん ぼうじしつた ぼだはだやみ」「南無大師遍照金剛」「なむ…」

 飢餓衆たちは天上に昇って行った。
 黄金色に色づいた稲穂のあかりが、飢餓衆たちの行く末を暗示していた。

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 「了」                                作 森田 博

 終わりまで読んでくださってありがとう。こんな形でしか表現できませんが、花束をどうぞ。



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by hirosi754 | 2013-12-21 08:58 | 小説 | Comments(0)