「みどりと信夫の大当たり」

055.gif 「仙人候補生」と姉弟 「二人の酔っぱらい」1-2 「神曲」1-78 「亜衣姫と羅夢王」1-7



 a0144027_16304093.jpg「ねえ、そこの人」
 「そこの色男」
 「おい」

 「えっ、」
 「そこの人って、俺のことか」と振り向いた。
 「占いをしてあげるからさあ、ちょっと寄ってみてよ」と、黒づくめの女が言った。

 信夫は占いなどに興味がない。だけど営業で疲れた足にはちょうど良い機会だ。大森海岸のガード下にある薄暗い小部屋の椅子に座った。
 「手相を見るのかな」と思ったら、手相は見ない。黒づくめの女は生年月日と星座を聞いた。それから大きな水晶玉に手をかざし、何やらぶつぶつと唱え始めている。暫く沈黙が続くと、

 「うわっ、」
 「凄い」とその女が言った。

 なにが凄いのか分からない。
 「あなた今日しかない、今日の運気が絶好調なの、人生最良の日なのよ」と言った。
 「はあ」

 「こんなの見たことない、凄ーい、生まれて初めてー」と、信夫の顔をじろじろと見た。
 「何にでも当たるから車には注意してよね」
 「はーい、これで終わり。では見料を頂くわよ」と女が言った。
 「なに これでもう終わりか」
 信夫はそれで見料、三千円を払うはめになった。

 「今日が人生最良の日か」いい加減なことを言いおると思って、大森海岸を右に折れ、国道沿いに歩いた。信夫の営業はつらい、のどが渇いた。そこで自動販売機で冷たい微糖のコーヒーを買った。
 「おっ、当たった」
 二個の缶コーヒーが出て来た。

 「ま、占いもこの程度かもしれない」と歩いていると、
 少年が乗った自転車にぶっつかり、電柱に頭をしこたま打たれた。少年は詫びて去ったが、「これも当たりといえばあたりかもしれんな」と思った。

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 遠くには平和島競艇場の入り口の案内板が見える。
 先ほどの黒お化けは「今日中に」と言った。今日しかないのか。それで黒お化けの占いが本物であるかどうかを試しに 平和島競艇場に入った。

 すでに10Rの準優戦が始まろうとしていた。たいがい準優戦は固く収まる。そこで信夫は無印の女子レーサーを頭に買った。6枠といえども軽量の女子選手だ、スタート次第では どうにでもなる。

 本命は1号艇のA1選手で格上である。2号艇も格上のA1選手で対抗だ。無印の6号艇がまくりを決めれば対抗の2号艇といえども差し場がない。そこへ捲りざしに食込んでくるのは4号艇か5号艇だ。信夫は6-4-1と一点だけ一万円買った。

 無謀な賭けだとは分かっていたが、あの黒マントのお化けの言葉が妙に引っかかる。今日が人生最良の日なら当ててみたらと、信夫は笑った。
 ファンファーレがなって、いよいよ6艇の選手が待機行動に入った。そして12秒針が回りスタートした。

 a0144027_850182.jpg6号艇が一気に先頭に躍り出た。そして他の5艇を幅寄せした。1号艇のA1選手は、それでも からくも二番手を死守したように見える。その刹那、4号艇が捲り差しを決めた。ほぼ同体で1号艇が2マークを回る、その最内を狙い4号艇が差し返す展開であった。抜きつ抜かれつの最終コーナーでほぼ同体でゴールした。



 「うわっ」
 「どっちだ」信夫の心臓から脈打つ音が聞こえた。
 「1か4か」
 結果は写真判定に持ち越され、成績は6-4-1と確定した。
 「あ、あっ」
 オッズは15.570倍であった。
 「ええ、ほんとかよ」
 「まじでか」

 「信夫は計算した。そうすると ええっと、15.560.000円の儲けか」あの黒ずくめの占いは当たる、そう思った。
 「まてよ、そうすると今日中に、とか言っていたな」

 a0144027_8375029.jpg「そうか、今夜の12時までに何とかしないと」と信夫は考え、はたと思い浮かべた。
 「そうか、あれだな、あれがいい」と、仕事を放り投げ 自宅に戻り、パソコンを開けて インターネットの銀行に接続して、即座にBIGを購入した。

 それから一週間、何事もなく過ぎた…。過ぎたかのようにも見えたが、心ここにあらずの状態であった。
 そしていよいよパソコンに向かい、銀行の口座を調べてみることにした。



 「ぬっ」残高照会に、
 「0が並んでいる」
 「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、いっせんまん、いちおく…」

 「んっ」
 「10億」
 「いやいや、嘘だ、うそだろう」
 もう一度 数えなおしてみた。
 「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん…」
 「やっぱり10億だ」
 「うーん」とパソコンの画面を見つめていた。
 「十億かあ」
 「どうしよう」

 信夫は、グルメではないので一汁一菜があれば事足りる。旅行とか贅沢品などには全く興味がない。その日食べていければそれでよいという、生まれつきの貧乏性なのだ。食費は、一日千五百円以内と決めている。衣類はこのところ買ったためしがない。
 「どうしようか」と、いろいろ考えた。

 「家を買うか」「島を買うか」
 「いやいやその前にやることがある」
 「そうだ」
 「あのブラック会社め」信夫は会社を辞めることにした。
 上司に退職願を出すと、
 「退職金は振り込んでおく」と、あっけなく受理された。リストラ要員であった信夫の退職願いに、上司は満面の笑みで応えた。
 次に住まいについて考えた。と、その前に、

 「そうか、あの人にお礼を言わなくっちゃ」と、黒マントの女性占い師を思い出した。
 そこで大森海岸のガード下まで行ってみた。
 だがシャッターが下りて貸店舗になっていた。あの妙齢の女性はどこに行ったのだろうと考えつつ、平和島競艇場まで来てしまった。
 「住まいか」一戸建ても良いが、平和島競艇場が見渡せる対岸のマンションも捨てがたい。そしてモーターボートのエンジン音に負けた。

 a0144027_8522465.jpg信夫は平和島競艇場を見下ろす14階のだだっ広いマンションを購入した。
 そこに望遠鏡を置き、競艇というものをつぶさに観察した。そこで連複の二点買いが一番確率が高いことが分かった。
 信夫は野毛の横浜市立図書館に通い始めた。そこの3階にある日刊スポーツのマイクロフィルムにある、競艇の成績をデジカメで撮り始めた。
 そして45年分の成績をパソコンに取り込んだ。日々買い目が違うようにしている。

 信夫が苦心したことは、いつも半分は外れるようにプログラムしたことである。だから少なくても三分に一は必ず当たる。当たった時はそこで必ずやめるようにした。
 インターネット投票で毎日が連勝であった。予算は十二分にあるが、額の大小ではない。当ててやめることに意味を見出していた。いわゆる勝ち逃げに徹していた。

 そういえば だだっ広い部屋は掃除もしていないし、服もあちこちに脱ぎ捨てている。
 飯は店屋物か外食でキッチンは使ったことがない。ここはひとつ、「家政婦を雇おう」と思いたった。
 「時給は幾ら払えばよいのかと迷った」掃除、洗濯、三食作り置きで三、四時間で済む。「一万円もあれば足りるのか、それとも多いのか」と悩んだ。さっぱり相場が分からない。

 夜はタクシーを飛ばし大森駅前の「のん兵衛」で呑んだ。以前は宝焼酎の水割りしか飲んだことはなかったけど、今は山崎のウイスキーをロックで飲んでいる。
 「おや」
 黒マントが給仕をしている。

 「ねえ、彼女」と信夫は黒マントを呼んだ。
 黒マントは信夫の近くに来た。
 「何かお注文ですか」と聞いた。
 「つくねと砂肝を二つづつ…ああ、いやいや違う」
 「君は、大森海岸で占いをしていたのでは」と聞いた。

 「ええ、そうですけど」と、黒マントならぬ、垢ぬけた女が言った。
 「実はあれから平和島で大儲けしてね…」と言いかけた途端、
 「みっちゃん、みどりちゃん、三番テーブルに大一丁」と店主が言い、話が途切れた。
 何が大一丁だか分からない。
 そこで信夫も「砂肝、ネギ間を三本づつ」と言ってしまった。

 せこい、十億も持っているのに…とは思ったが、
 「はーい、砂肝、ネギ間」と運んできた。
 その みっちゃんに、この前のお礼がしたいと申し出た。
 「ああ、あの時の色男ね」と、みどりは覚えていた。

 「そっかあ、当たったのね、でもお金はいらない」と、みどりは言った。
 「働かないと報酬はいらない」
 しっかりしている。こいつはまともだと思った。

 「報酬はいいけど、何か働き口は ある」と みどりが聞いて来た。
 「ある」
 「ある」
 「あるとも」
 「あるよ」と信夫は言った。

 「どこ」と、みどりが聞いた。
 「おれんちの家政婦」
 「時給は三千、いや四千円でもいい」と信夫が言った。
 「三食まとめて作って、部屋掃除するだけ」

 a0144027_10304041.jpg「ふーん」
 「で、どこに住んでるの」
 「平和島」「競艇場が見えるとこ」
 「へーえ、いいとこ住んでるじゃん」
 「で、部屋数は」
 「4LDK」
 「そこに一人で住んでるの」
 「そう」
 「へー じゃあ一部屋貸してくれない」と言ってきた。

 「貸す」
 「いや、あげる」
 「あげる」
 「あげるよ」
 「じゃあ、ここに電話して」と みどりは、割りばしの袋に電話番号を書いた。
 「明日電話する」
 「午前中にね」
 「分かった」と、その夜は飲みなれぬ山崎のウイスキーを飲んだ。

 「ん、」焼き鳥には日本酒だろうと、熱燗に変えて呑んだ。
 「それにしてもあの子、みどりは占い師だけあって、私が悪者でないことを知っていた」
 「じゃあ、勘定して」と言ったら、みどりが飛んできて、親指と小指を立ててから、
 「電話してね」と言い、
 「二千五百円頂きます」と言った。

 それにしても、生きているうちに十億使い切るのは難しい。競艇では利益が出るばかりだ。ネット銀行では、テレボートの残高が増え続けている。やはり連複の二択が正解だった。勝ち逃げこそ勝負の王道である。

 次の日、みどりに電話した。みどりは大森海岸のガード下で待っているという。信夫はタクシーを飛ばしてガード下に向かった。
 みどりは赤いジャンパーを着ていて薄化粧をしていた。黒ずくめの女とは大違いであった。みどりと信夫を乗せたタクシーは、4LDKのマンションに向かい、エレベーターで14階まで行き、1407号室に入った。

 a0144027_933286.jpgそこにはだだっ広い空間のみがあった。平和島を見下ろす望遠鏡とパソコンに机、そして大きなソファーしかなかった。
 「いつもどこで寝ているの」と、みどりが言った。

 「そこのソファーだ」と信夫が答えた。
 「毛布一枚で」
 「そうだ」
 みどりは部屋のあちこちを見て回り、
 「どこも空じゃん」と言った。
 「そう」
 「この部屋を掃除してくれて、三食分の食事をまとめて作ってくれたらそれでいい、それから部屋は好きな部屋を選んでいいよ」と合鍵を渡し、
 「たぶん、三時間もあれば終わると思う」と、信夫は言った。

 「ふーん」
 「じゃあ、この部屋がいいわ」と、日当たりのよい部屋を選んだ。
 「いいよ」
 「じゃあ、引っ越すね」と、みどりは言った。
 「引っ越すのはいいけど、家財道具はぜーんぶ新品を買ってあげるよ」
 「なんでなの」
 「競艇で儲かったって話はこのあいだ聞いたけど、そんなにお金があったの」
 「実はね…」
 「この間は話しそびれたけど、あれからBIGを買って十億円当てたんだよ」
 「じゅ…」
 「10億」
 「そうだよ、だからこのお金は、君のものでもあるんだよ」
 「じゅうおく…」
 「そうだよ」
 「駄目ダメ、不労所得はイヤだよう、お仕事をさせてもらいます」と、みどりが言った。
 「掃除、洗濯、お食事、お背中も流させてもらいます」
 「えっ」

 「背中はいいよ」
 「で、その、じゅじゅ…十億をどうするの」と みどりが聞いた。
 「生きているうちに使い切るよ」
 「余ったら、君にあげる」
 「そう、それならお言葉に甘えて家具店に行きましょうよ、名前はなんて言うの」
 「信夫」
 「私はみどり」
 「知ってる、《のん兵衛》で聞いたから」と、二人で家具店に行くことになった。

 みどりは大きな鏡台とダブルベット、総檜の衣装箪笥を買った。信夫はシングルベットを買った。その他こまごました台所用品、テーブルセット、寝具、カーテンなどは全てみどりに任せた。これで一応部屋らしくなった。
 「ねえ」
 「車も買おうか」とみどりが言ったが、「車はダメだ、酒飲みだし」と言った。
 「それに事故ったら、十億使い切れない」とも言った。
 「じゃあ、私が運転する」とみどりが言う。それでトヨタの最高級車を買って贈った。

 だがまだ金は減らない。額はしれているが競艇も連戦連勝だ。
 みどりはその日のうちに引っ越してきた。掃除、洗濯、食事の用意を済ませると「のん兵衛」に働きに行った。
 a0144027_15405960.jpg信夫は日がな一日、競艇のインターネット投票に興じていた…ように見えたが、勝った時点で投票はやめている。常人のなせる業ではなかった。が、そのあとが退屈だった。いつしか みどりの帰りが待ち遠しくなっていた。


 ついに競艇にも飽きた。
 「下らん、実に下らん」「時間の浪費だ」と気づいた。静かなところで小説でも書きたい、そう思い、インターネットで田舎の物件を探し、そして購入した。
 みどりが帰ってくると、「引っ越そう、信州の山奥に別荘を建てる」「君も《のん兵衛》を辞めてくれ」「あ、いや、今までの家政婦で構わない。お金は払うから」と言った。

 「信州」
 「信州のどこ」と、みどりは尋ねた。
 「長野県伊那郡箕輪町だ」「もう土地も買ってある」と言った。
 「野菜も植えられる」
 「もちろん」
 「南アルプスも見える」
 「見える」
 「見える」
 「なら考えてみる」と、みどりは言った。

 「そこで、大体でいいから、別荘の図面を書いてみてくれ」と言った。
 「うーん」と言いながら、みどりはスケッチをし始めた。
 「ここは地下室にして、大音量の音響設備のスピーカーで音楽を楽しみたいなあ」「クラシックもいいし、J-POP、それにカラオケとか映画も見れる大型のディスプレイも置いてさあ」と、みどりはその気になっていた。

 「それからHは二万円だよ」
 「はあ」
 「それはないよ」
 「冗談だよ」

 
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 それからすぐに みどりは「のん兵衛」を辞めた。
 そして別荘の土地を下見にがてらに、みどりの運転で中央道を下り、伊北インターで降りた。そこが箕輪町であった。左折してローソンの前を暫く行くと、杉木立の中にその土地はあった。静寂が辺りを覆っている。広さは十二分にあった。みどりは一目でこの土地が気に入った。

 信夫は別荘のことを、全てみどりに任せた。みどりは水晶玉に手をかざし方角を決めた。
 地下一階、地上一階で薪ストーブ付きである。二人っきりの生活ではこれで充分である。それに上下水道も通っているし、道も舗装され電気も通っている。薪は間伐材がいくらでもあった。
 みどりは地元の建築会社にスケッチを見せた。建築会社はそれを図面に起こした。プロバイダーはインターネット回線を引いた。

 平和島のマンションでは、初めてみどりと信夫が一緒に風呂に入った。それから みどりの部屋で二人は抱き合った。
 箕輪町の建築会社から別荘の新築祝いの一報が届いた。それで みどりと共に見に行った。

 「わーっ、」
 「す、素晴らしい」とみどりが歓声の溜め息を漏らした。
 贅を尽くして建てられた別荘がそこにはあった。
 「凄い」と 信夫も仰天していた。

 さっそく業者に特注していた音響機器と、大型のディスプレイを地下室に運び入れた。さて、最初に流す曲について二人は言い争った。みどりが折れ、信夫の言い分を聞いた。信夫はベートーベンの第九をかけた。地下室がコンサートホールになった。歓喜の歌声が地下室に満ち溢れた。

 …
 a0144027_10595918.jpg友人よ 調べ変えて、
 いざ声 ほがらかにあげん。
 歓喜の歌。
 (中略)
 生きとし生くなる 人みな友ぞ。
 汝が手の結ばん 奇しきあやに、
 生きとし生くなる 人みな友ぞ。
 抱かん諸人 心合わせて、
 見よ星の座に 聖なる父がいます。
 地に伏しあがめずや 主を仰がずや、
 星散る彼方 父なる主がいます。
 …

 大迫力である。みどりと信夫は互いに抱き合い、一体となって聞き入っていた。
 「あの…」
 「あの」
 「宅配便ですけど」と、地下室を覗き込んだその男が言った。

 その声の主を見て、二人は顔を赤らめた。
 一階に上がると、杉木立の玄関には大型のトラックが停められていた。注文していた家財道具一式だ。二人は置き場所をこと細かく指示して回った。

 みどりは空き地に花の種を植えている。その姿は大森海岸の都会にいるときよりも若返って見えた。信夫は間伐材の幹をチェンソーで輪切りにし、一輪車で庭に運んでいる。後で斧で割って薪にするのだ。小鳥がさえずり、リスが薪から顔をのぞかせていた。

 みどりと信夫はますます仲が良くなってきていた。薪の数も増えてきた。二人はもう離れられなくなっていた。
 「ねえ、あなた」
 「お金が全然減らないわよ」
 「どうしましょう」とみどりが言った。
 「うーん」

 「うーん」と暫く考えたのち、
 信夫が「子供をつくろう」と言いだし、二人で地下室に降りて行った。
 だんだん、地下室に降りてゆく回数が多くなってきた。
 そして、

 a0144027_15505893.jpg地下室では大画面で五夜連続、NHKオンデマンドの連続テレビ小説「おしん」を見た。みどりが感動していた。それから裸で抱き合いながらAVも見たし、カラオケにも興じた。



 信夫はセーブ・ザ・チルドレンに毎月一万円十口を 寄付していた。寄付というものは、浅く広く誰もが まんべんもなく行うものだと思っていた。有り金全額寄付したとしても、路頭に迷っては元も子もない。

 みどりが「子ができたらしい」と言った。
 「えっ、」
 「ほんとか」
 「ほんとに」
 「えっ」
 「じゃ、じゃあ平和島に帰ろう」「ここからは病院も遠いし」と、信夫が言った。
 「そうっか」「生まれるのかあ」
 信夫に新たな希望が生まれて来た。みどりも平和島に戻ることに同意した。
 さっそく二人は別荘の戸締りをして、伊北インターから中央道を東に上り、15号線 第一京浜線で我が家に戻って来た。
 やはり、モーターボートのエンジン音が懐かしい。

 みどりは大森の産婦人科に行った。嬉しそうに母子手帳を見せながら、「三か月目に入ったんだって」と、はしゃいで言った。
 信夫とみどりは区役所に行き、婚姻届を出した。
 結婚式は近くの神社で柏手を打ってすました。大げさな結婚式やら披露宴をやると二人の数億にのぼる遺産がばれるのでやめた。

 「お金じゃないんだよな、このみどりに出会えただけでも十億以上の値打ちがある」と、信夫は思っていた。「人間はお金じゃない、きっかけこそが大事なんだ。みどりもお金につられて私と一緒になったわけではなかったはずだ」と思っていた。思いながらも望遠鏡で平和島競艇場を走るモーターボートを一心に見つめていた。

 a0144027_10251580.jpgそしてしばらく放置していた競艇の成績をパソコンに入力しだした。時代遅れのF-BASIC、V6.0での自作のプログラミングソフトである。それでも何とか動いている。




 みどりは占術を勉強していた。もう臨月になっている。
 「こいつは仙女か」水晶玉が怪しく光った。
 「確かに当たるときには ものすごく当たる」「この俺が証人だ」
 「それは肌身に染みて分かってる」
 「店を一店舗 出してやらないとなあ」と思っていた。

 別荘は、みどりの姉夫婦に一時的に貸すことにした。
 宝くじで一億円当たったと嘘をついた。姉夫婦は広大な裏庭に、幾つものビニールハウスを建て、しいたけと なめたけ、それにしめじを大量に栽培して生計を立てていた。

 みどりが子を産んだ。かわいい男の子であった。
 「可愛いなあ」
 「そお、お猿さんみたいだけど」
 「この手、この足を見てごらん」
 「ほんと、かわいい」
 「この小さな真っ赤な足の指を見て」
 「ははは、可愛い」と笑った。
 優しくわが子を見守る みどりを愛おしく思った。

 信夫はこれまでの散財を反省していた。この子のために、出来るだけ残せるものは 残してあげたいと思った。それが親心であった。それからわが子を抱いて我が家に戻った。家が急ににぎやかになった。まだまだ子供が欲しいなと思った。

 「こら そこの色男」
 「おい」
 と言った、みどりのさりげない一声から全てが始まった。

 あの時、声をかけてくれたから、この子も生まれた。チャップリンが言うところの、サムマネーがいかに大事であるかということも分かった。少々のお金でいいのである。大金を持つには器がいる。

 子供の名前は信行と名づけた。
 それから五年の歳月が流れた。その子は、かわいい やんちゃ坊主になっていた。みどりには一軒の喫茶店を買ってあげた。店は雇われ店主に任せてある。そこには占いコーナーを設け、みどりが時々顔を見せに来る。
 その、みどりは また子を身ごもった。今度は女の子らしい。
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 幸せとはこういうことなのかと、信夫はしみじみと思った。
 「お金ではこの幸せは買えない」
 平和島競艇場の、モーターボートのエンジン音が 心なしか弾んで聞こえた。




 「了」                                  作 森田 博
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by hirosi754 | 2013-12-15 08:12 | 小説 | Comments(0)