「神曲」 7-15

              7
 あれから幾年月が経っただろうか、
 このところ私は、日本中を浮遊して周る癖がついてしまった。「おお、」木枯らしが身に凍みる。そこで私しか知らぬ、火星の湯治場に行く。昔、火星は大海原に覆われていた。まだ地球に 人が住めない時でもあった。その大海原が、大地に凍てつき、今の有様に成ったのである。だが火星は生きている。そのマグマ溜まりの直ぐ上では、氷の壁が溶け 天然の温泉に成っていた。自らの光で周りを見渡すと、青白く輝くドームである。ここは地底、数千メートルにある。幽体を出し 体を伸ばすと、言い知れぬ心地良さであった。

a0144027_0141228.jpg 深遠な静けさの中に、
 「ぱちん」
 「ぱちん」と、
 数十億年にも及ぶ 時の壁を破り、酸素が出てくる 微かな音がする。大尉は久しぶりに横笛を取り出して吹いた。美しくも涼やかな音色が、その氷穴の奥のほうまで吸い込まれて行った。
 私はここで、瞑想に耽る。

 思えば、地球に来て始めて、平の敦盛(あつもり)として生まれ、一ノ谷の合戦で敗れ、更に 益田甚兵衛好次(よしつぐ)として生まれ、関が原の合戦では 小西行長に従軍し生延び、天草島原の乱で原城もろとも燃え上がった。
 また次には、新撰組に不意打ちを食らい、第二時世界大戦の時は大田晴海陸軍大尉として、ガダルカナル島で飢え死にした。何れも逃げ場が無く、無惨に死に至った。走馬灯のように 自分が肉体をもった時代を思い起こし、火星を後にした。


               8
 早春の、まだ柔らかい日差しが 大地に降り注いでいる。
 地中では虫たちが蠢き始めた。
 私は 普段、高天原の山の中に居を構えている。そして地上の余りの乱れように、「また舞い降りてみるか」と思った。
 「ああ、何とした世の乱れ様か、」
 「守護霊達は、何をしている」「己の役目も解らんのか」と、ほとほと吾が目を疑った。私は地上を飛び、守護霊からの悲痛な叫びを待つことにした。程なく老いた守護霊が、私の方に来て、「済まぬが、我が親類先の 孫を助けては貰えまいか」と相談をしに来た。その老いた守護霊は、「いやもう私には手におえない」と言った。それでは、その孫に一度会ってみようと思い、老いた守護霊の後を 付いて行ってみた。
 「んーっ、これは、堪らんわな」
 親父は出奔していて、家庭は崩壊し、息子は夜な夜な包丁を研いでいる。目が怪しく泳いでいた。名は剛生という 十六歳であった。放っておくと他家に押し入り、また何をしでかすか分からぬことが 容易に想像し得た。
 また別の守護霊からも、私が守護しているアル中の運転手を 懲らしめてくれないかと、相談をしに来た。見るからに焼酎やけした赤ら顔の、人の良さそうな運転手、おさむちゃんである。そこで一計を案じて、一度に二人を改心させる手を考えた。何時もどおり焼酎を二杯飲んで、これから仕事場に向かうアル中の男に、剛生を轢かせる手順をととのえた。
 「どーん」と
 ぶっつかった。
 ここで轢き逃げでもされたら元も子もないので、近在の叔母ちゃん達に、用も無いのにたむろさせていた。アル中の運転手 おさむは動転した。「あちゃ、し、しまった」と思った。もちろん私が 剛生の意識を奪ったのだが、救急車で運ばれて行ってしまった。警察は アル中の運転手を逮捕した。おさむは泣いて媚びた。酒気帯びの危険運転傷害罪で、今は留置所に入っているが、剛生の意識が戻らぬ場合は、いずれ刑務所に入ることになるだろう。

 剛生は意識不明で、思ったとおり地獄にさ迷っていた。幽体離脱で、命には別状は無い。彼は包丁を持ち歩き、誰彼構わず物凄いことを画策していた すんでの所だった。誰知らず愛に飢え、心の闇は深かった。それでも母親は、その剛生の意識を取り戻そうと、檀家の住職に教えを請い、般若心経の写本を勧められた。







 その日から、母親は写本を始めた。
 涙が 墨に滲んだ。
 子供の頃、仕事にかまけて いとおしく愛でたことがあったのか。或いは、我が子を信頼して、何かを任せたことがあったのか。剛生の悲しみを、分かち合ったことがあったのか。写本をしながら、また一粒、字が滲んだ。
 子供が生まれて、たった二十年で成人する。剛生はまだ十六歳に成ったばかりである。その僅かの間、どうしていっぱい愛してあげられなかったのか、今は、その悔悟の念でいっぱいである。ただ、黙々と言われたことを、写本していた。
 「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五」と ここまで来た時、魔が差してきたのだろう。
 あろうことか、
 平家物語を 書いている。
 … 祇園精舎の鐘のこえ、諸行無常の響あり。娑羅さう樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し …
 と、ここまで書いて、はっと我に帰り 写本を続けた。若き日に読んだ その平家物語の一節が蘇って来たのか、神経が疲れてしまったのか、頭がおかしくなったのか、気を入れ直して、また写本を続けた。

 「大変だ、ねえお巡りさん」とおさむは、鉄格子の前にいた当直の警察官に言った。
 「どうした、何が大変なんだ」
 「この近くにお寺はありますか」
 「寺か、寺はないが、それがどうかしたのか」
 「あ、頭の中で、お経が聞こえて来ます」
 「は… 」

 やれやれこいつ、とうとう頭にきたかと、当直の警官は呆れて、
 「幻聴だ。今度この留置所を出たら、杭酒剤を処方してもらえ」と言うと、頭を振りふりドアの外に出て行った。そうして一枚の拡大コピーした用紙をおさむに渡した。「それは般若心経だ。それで写経でもしていろ」と言った。
 おさむは、「ペンは、ノートは」と聞いたが、「そんな物をやれる訳がないだろう。床に人差し指ででも書いておれ。いいか、シアナマイド液だぞ」と警察官は言った。
 『シアナマイド』とは、こちらからどうぞ。

               9
 ここは、血の池地獄である。
 (本来、修羅の地獄は血の池地獄ではないのだが、ここは作品の構成上勘弁してやって下さい。作者)
お互い地獄に落ちた者同士が、切ったり刺されたりしている。それが切っても、刺されても、また生き返ってくる。
 「この野郎、またやりやがったな、喰らえっー」「お前こそ喰らえっ、この人殺しめがっー」「何をっ、殺してやるー」あちらこちらで返り血を浴び、物凄い死闘が昼夜も分かたず、何百年も繰り返されている。
 少しでも逃げようとすれば、赤鬼が長い槍のようなもので、串刺しにして血の池に放り込む。また何もしていない者には、尻を槍で嫌というほど突っつかれ、突かれた者は悲鳴をあげて逃げ惑い、血の池に溺れる。そうして、血の池から這い上がろうとすれば、また胸を突きとうされる。
 …
 修羅場である。
 ちょうど、イスラエルとパレスチナのように、
 いつ果てる事も無く、お互いに殺し合っている、
 修羅の世界である。
 …
 剛生は、天から般若心経の字が 鎖状になって降りてくるのを、いち早く見つけ、上にうえにと登って行った。すると何だろう、般若心経の字の先に、あろうことか、
 なんと、
 平家物語が書いてあるではないか。
 かな文字で、線が細く、幸い草書体で書かれていたために、辛うじて繋がっている。
 下の方では亡者どもも、我先にと登って来ている。

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 「頼む、余り揺らすな」
 「お、落ちるぞっ」と声をかけた。
 「いま、ずるっと来た」やばい

 と、そのとき、
 太さが人差し指大の、大きな骨太の般若心経の鎖状に繋がった字が、直ぐ近くまで来て、それで その字に乗り移った。亡者どもが鈴なりになって登って来た鎖は、平家物語のかな文字には重すぎて、滑って、切れて、落ちてしまった。

 もう一つの般若心経の字は、留置所の床で書かれていたものだった。不思議な笛の音が聞こえるなか、おさむも写経をしていた。元は髭面の運転手、野球帽を被っていた おさむは、危険運転致死傷罪になることだけは、何としても避けたかったのである。
 剛生は自分の病室に入り、上から我が身を見下ろしていた。そしてちょうど赤鬼に、尻を刺されていた頃のカルテには、赤い字で、心拍数の異常な数値が書かれていた。ニトロ、三ミリ注入と記されていた。

 剛生は自分の体に入った。
 蘇生したのである。そして我が家に戻った剛生は、母の部屋で、あの平家物語の枕詞が挟まった 般若心経の写本をじいーっと眺め、そして夕べの食事をして互いに悔い、泣いた。食事が喉を通らなくなっていた。


               10
a0144027_19581454.jpg 大田晴海中隊長は また火星に行った。
 あの地下数千メートルに在る温泉にである。シーンとした静寂さの中に眠り、
 数十億年の時の壁を破り、
 「ぱちん」
 「ぱちん」と、
微かな音がする所で 瞑想に耽るのである。

 この間は凄かったなあ、火星に隕石がぶっつかり、この温泉が鳴動した。そして少し温くなったようだ。うん、私にはこれ位でちょうど良くなった。しばし瞑想に入ろう。
 大田大尉は、この時代より前の、静かに沈んで天空に舞った、もう一つの星の文明を思い出していた。あの時代が一番良かったと、そう思い起していた。母にお尻を三度叩かれ、そして反省したかと尋ねられた。それで私が、「うん」と答えると、顔のあざが三つ消えていた。

 この文明の特徴である 曲がったことや、誤ったことを、考えたり行なったりすると、その数だけ、顔に発疹が出てしまうのである。大田大尉の子供の頃、「セムちゃん」と呼ばれた時の話しである。
 それは、生まれ持って出てきた発疹とは異なり、小さな可愛いい さくらんぼ である。そして心より反省すればするだけ、その発疹は消えていくのである。こうした優れた徳育文明の星があった。自から それぞれの長となる人には発疹が無く、或いは直ぐ消える人が成り、争い事も無く、平和な社会であった。

 そのセムちゃんが、少尉に任官された時の頃である。顔を覆面した輩が出没してきた。 「さて こ奴等をどうしようか」 その数は段々と そして徐々に増えていった。「仕方が無い」 この文明は次の手を考えた。「無理にでも改心させてやるか」と、顔を出していない人々を、セム少尉は時空間移動船に乗せ、次の未来の遠い星の文明を見させた。
 テロがテロを生む国を見させた。政治家も見させた。あらゆる国の都会の人を見させた。余りの自分勝手な地球の人の傲慢な心、無知なる心を知るに及んで、時空間移動船の中の人達は、さめざめと泣いた。そしてみんな覆面を外した。かわいい顔である。美しい顔である。皆、改心した模様である。

 大田大尉も嘗ての星の自分を見ていた。幼いながらも、その文明に接しられたことを、誇りに思っているセム少年を見ていた。また何時の日か、仲間と出会える日を夢に見つつ、火星を後にして 高天原に帰って行った。


               11
a0144027_2145062.jpg 宇宙船は四次元を通って 瞬時に移動する。
 そして銀河の星の中に入ると蛇行をして飛行を始める。重力場がそうさせるのか、目には見えぬが、宇宙はシャボン玉が重なり合ったようになっている泡宇宙である。その四次元空間には、航路という宇宙船が行き来するには適した路が幾つも在ったし、今も開拓され調べられている。免疫グロブリン抗体群の一団やら、マクロファージ軍団も時折見かけた、大小の静脈流である。
 私たち人間の体は、数十兆もの細胞から成り立っている。各細胞はそれぞれに独立していて、他の細胞と完全な調和を保ちながら一つの人体を形成している。各細胞もそれ自体、それぞれに独立した心を持っていて、宇宙もまた同じである。

 三次元で見れば、銀河の中にも、星の無い空間が そこここに在るという。何故、そのシャボン玉の泡の中には星が無いのか、不思議である。
 そこが創造主のまばゆく輝く 荘厳な細胞であることは、セム少年も内心気が付いていた。あと数十次元上った所から見れば、宇宙創造主の御身体の一部が 光り輝き、満面の笑みを浮かべ、燦然と顕われてくる。
 宇宙は決して 漆黒ではなかったである。
 燦燦と色とりどりの御光りで、輝いているのである。がしかし、三次元ではそれが見えない。でも 夜空は美しいし、満天の星空である。

 この宇宙に張り巡らされた霊界網は、実に良く出来ている。地球のような年少組の星から、大学院星、否それ以上までに良く整備されている。あのオリオン星雲に、またどんな星が生まれるのか、今から楽しみである。


               12
 セム少年は、横笛の名手である。
 父はナラマルといい、浪曲師であり、また講釈も得意としていた。それで聞かせてくれ、また泣かしてもくれた。セムの父が、観客の前で浪曲を語っていたとき、控え室で一人ぼっちで寂しくて、舞台に上がって、「浪花節」を喋っていた父の側に行き、袖を引っ張った。拳骨で ぽかりとやられた。発疹が一つ増えた。観客は親父の話しに、ああ、涙していた。
 セムは、頭に手をやり、にっこり笑って、「失敗しちゃったな」と言った。
 「何故舞台に出ちゃったんだろう」「でもすごいな、みんな泣いていたな」とセムは父を誇りに思った。

a0144027_17321396.jpg セムは よく玉姫と一緒に裏山に登って、横笛を吹くのが好きだった。
 そして、爺っちゃまという 大きな老木と会話をする。爺っちゃまという老木は、悲しげに この大陸は海に沈むと言った。
 「静かに沈み天空に舞う」と言った。セムは、爺っちゃまは 詩人だなと思った。ああ、それで宇宙船をいっばい作っているんかと思った。セムは、爺っちゃまの心根を聞いて悲しくなり、発疹が一つ消えた。
 カンミちゃんも聞いていた。カンミちゃんは妖精だ。そのカンミちゃんも 天空に舞うのだ。「カンミちゃん大丈夫」と聞いたら、「まだ分らない」と答えた。なんだか悲しくなってきた。
 「人は皆 死ぬ、このわしとてもそうじゃ」と老木は言う。「そして一段と強ようなって、そうじゃなあ、いや うんと優しゅうなってと言うた方が好かろうな、そうして、一つずつ魂の肥しを増やして行くのじゃよ」と言った。


               13
 セムは、また裏山の爺っちゃまの処に、玉姫と一緒に登ることにしていた。
 「セムちゃーん、待ってー」と、玉姫が息を切らしてセムの所に駆けつけた。
 玉姫の腰にも セムと同じ横笛が差されてあった。それで二人は手を繋いで裏山に登って行くと、カンミちゃんと出会った。カンミちゃんは、それはそれは可愛いらしいポケットから、金色の粉を二人の上に降り注いだ。すると二人はふわふわと浮き上がり手を繋ぎ、カンミちゃんと一緒に、裏山の爺っちゃまの所まで飛んで行った。
 爺っちゃまの木の幹には大きな樹洞(ほら)が出来ていた。
 セムと玉姫は、爺っちゃまの横に伸びた 太い枝に乗り、横笛を吹いた。すると爺っちゃまの大きな樹洞から、どこからともなく風が吹き込み、ホルンの伴奏もしてくれた。もちろん、カンミちゃんも小さなオーボエを吹いた。

 そして演奏が終ると、セムは爺っちゃまに聞いた。
 「どうして、この星には戦争が無いの」 すると爺っちゃまが、「トーマスおじさんが神界に昇って、地上の科学者と共同で、神界テレビを創ってからじゃ」と言われた。「セムの家にも、玉姫の家にも有るじゃろう」
 「セムのテレビ学校の先生は誰かな」
 「ガブリエルじゃ」
 「ほう、玉姫は」と爺っちゃまが聞いた。
 「ミカエルじゃ」と玉姫は答えた。
 「ほう、いやいや中々立派な先生じゃな」と爺は驚いた。「それではその先生方には悪いが、わしがそのちょっと先を教えてやろうかな」と爺が言った。

 「まだ神界テレビが出来る前、この星にも戦争があったのじゃよ」
 「この わしにも迫撃砲弾が当たってな、それでこの樹洞が出来たのじゃよ」
 「そしてテレビが出来てからな」とため息をついて、
 「喩えればこの星が、これからセム達が行く、地球という星の未来と仮定してじゃな」
 「むかし日本人だったアメリカの科学者がな、何をとち狂うてか知らんが、嘗ての祖国に原爆を落とし、我が子孫を皆殺しにした 自分の姿をテレビで見たりしてな」
 「日本人として産まれた時は、竹島は、日本固有の領土だと言い」「次に韓国人として産まれた時には、いやいや独島は、我が国固有の領土だと、それは鼻息を強く言い張っておった 自分自身の姿をテレビで見たりしてな」「人間とは何か、自分とは何かと、気づき始めたのじゃよ」と ここまで言って、更に爺さまは嘆いた。
 「筑波のガマの油売りのガマ蛙のように、全身脂を流して見ておったそうじゃ」

 「またユダヤ教徒の家に生まれた時にはな」
 「ここは神の約束の地だとか、選民だとか思っていて、嘆きの壁に、幾度も幾度も額を打ち、祈り続けておった御仁が」「今度は、それはそれは、貧しいパレスチナの家に生まれ変わり、腹に爆弾を巻き、ど派手に自爆して逝きよった」
 「共に同じ人物がじゃぞ」と爺はまた嘆いた。「後はガブリエル先生と、ミカエル先生が教えて下さるじゃろう。まあ これは地球という星の喩えなのじゃが」と老木の爺が言った。 その話しを聞き、セムと玉姫の眼は潤んだ。
 「あいた、しもうた。このまま帰しては偲びがたい」「一曲 所望させては貰えまいか」と爺は、この話しはまだ少し早すぎたなと思い、言った。
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a0144027_19593762.jpg セムと玉姫は、爺っちゃまの枝に跨り笛を吹いた。♫ その笛の怪しげな音階の おたまじゃくしは、森の木々の間を抜け、上となり横となり、また逆さまとなったりして、一面の、色鮮やかなピンクや、白いコスモスの花の中に吸い込まれ、カンミちゃんのお婆ちゃんを「きゃっきゃっ」と喜ばした。
 そのカンミちゃんは「お母さんが呼んでいるよ」と言い、また可愛らしいポケットから金の粉を降りかけた。それで二人は仲良く手を握り、カンミちゃんに「また遊ぼうね」と声をかけ、「また遊ぼうね」とカンミちゃんも微笑みを返した。「また話そうな」と爺の言葉に、「うん。爺っちゃん また来るからね」と言った。
 そして二人は中空を舞って「何でだろう」「何で飛ぶんだろうね」「気持ち好いね」と言い、しばらくの間 野原を飛び回ってから、お母さんの所に帰って行った。


               14
 行き先は決まった。
 それは依りによってというべきか、やはり地球と言う星だった。セムちゃん達のいる、何億光年も先に在る星だった。
 その星にはその星の神様がおられる。それも一人や二人ではなかった。まさに神々の戦場であった。一国で八百万の神々がいる国もあった。あとは察して余りある。キリストもいれば、ムハンマドもいる。エホバもいれば、アラーの神様も、釈迦もいる。数え上げたらそれこそ数限りが無い。そして、我こそが唯一の紳であると誰しもが言う。
 まさに神々の、覇権を競う戦さ場であった。そこでは、セムちゃん達の文明の掟である発疹が通用しない、百花繚乱の星でもあった。まさに、とんでもない星を選んでしまったものである。その星にはセムちゃんの星には無かった、《 地獄 》という階層が在るらしい。セムちゃん達の発疹の代わり、そこで揉まれろと言うことか、
 「ああ恐ろしや」
 堕ちたら最後、深い闇に沈むと言う この星の掟であった。

 セムが中尉になってから、本格的な移住が始まってきた。
 まずは宇宙船団で近くまで来て、肉体としてでは無く 霊体として、この地に馴染ませた。また一部の船団は、他の星を求めて旅立った。セム中尉は、「もう船が出るぞうー」と声を嗄らし、皆を一同に集め、最後の人として星を離れ、この地に降り 産まれた。
 このようにしてセムちゃんは地球人となった。そうして地球でのデビューは、うら若き公達(きんだち)として、一ノ谷の合戦で、無惨にも散った。


               15
a0144027_17292216.jpg 一ノ谷城は、寿永三年(西暦1184年)に平氏が築いたという。木曾義仲によって都を追い落とされた平家は、西国に逃れ、ここに篭った。しかし、義経は背後の急峻な崖、ひよどり越えの 逆落としから攻め入って、平家を西海に追った。

 平家の公達が船に逃れるのを討ち取ろうと、熊谷次郎直実が磯の方へ駒を進めた。すると、美しい鎧兜に身をつつんだ武者が一騎、海上の赤旗、赤じるしの沖の軍船に馬を泳がせ、逃れ行くのが目にとまった。熊谷は、そのいでたちから 身分のある将と見間違えた。見事な直垂(ひたたれ)に萌黄(もえぎ)匂いの鎧、馬には金覆輪(きんぷくりん)の鞍を置いている。

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 「敵に後ろを見せ給うな。ささ、堂々と引き返られよ」と呼びかけると、武者は「そこまでの所望と申せあらば」と、潔く引き返してきた。
 武蔵の国の熊谷が、太刀を抜き共に打ち払い、馬を並べて組みつき、地上に落ち、押さえつけて兜を覗き見、首を かこうとしたが、見れば年のころは十五、六歳、吾が子程の おさない美少年であった。ここで子供を討ったとて大勢に影響はない。「しまった… 」と、熊谷次郎直実は思った。
 「いかなる人にて ましまし候ぞ」「名を名乗らせ給え。助け参らせん」と言うと、少年は「汝は誰そ」と尋ねる。武士は、「武蔵の国の熊谷次郎直実」と名乗った。それで、貴方様の御名は と少年に尋ねかけ、熊谷は後ろを振り返り、「ああ、」と呻いた。
 「お助けしようと思いましたが、味方の大軍が参ります」
 「もう とてもお逃げにはなれますまい」と言い、「済まぬことを致した… 」と熊谷次郎直実が嘆いた。
 少年は、「早く首を取れ」「さすれば自ずと名も知れようぞ」
 「何を戸惑うてか、我は平氏の公達、お主は関東に荒武者、敗れたからには 既に覚悟はついておる」と言った。
 呆然とした熊谷は泣きながら、年端も行かぬ吾が子ほどの、か細い首をかき、哀れ武士の身でさえなければ、懸る憂き目を見ぬものをと、我が身を顧み さめざめと泣いた。さて首を包もうとしたところ、その腰に錦の袋に入れた、見事な笛が差されてあった。

 「今朝ほど城内で笛を吹いておられたのは、この御方だ」 東国の軍勢何百騎ある中で、軍陣に笛を携える者などいようはずもない。

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 「ああ、お痛たわしい」
 よほど高貴な方であることは確かである。親御様の嘆きは いかばかりであろうかと胸震わせ、義経に笛を見せると。これは高倉天皇秘蔵の名笛、「青葉」であると言い、義経ともども人々は涙を流した。

 セム中尉、後の大田大尉の地球に来て 始めての死であった。聞けば、少年は平修理大夫(たいらのしゅりだいぶ)経盛の子、敦盛、十七歳であった。この後、暫らくして熊谷は、法然上人のもとへ出家をし、蓮生坊と名乗った。












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by hirosi754 | 2010-06-02 16:47 | 小説 | Comments(0)